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第11話 『 おせっかい 』

 僕が始めて日本で個展を開いたのは 1983年、渋谷パルコだった。10年近くのロンドン滞在にひと区切りをつけて帰国し、その間に撮りためた写真を一挙に公開したのだ。

 当時の音楽界は今と違って、邦楽より洋楽の方が人気が高く、特にイギリスから次々と話題のグループが来日した。そうした話題のグループの写真が、沢山つまった写真展だったから会場には、どっと若い女の子達がつめかけ、その場はあたかもコンサート会場の様な熱気がみなぎっていた。

 僕にとっての初めての個展、そして多くのお客さんにとっても初めての写真展という初めて同士の経験だった。僕はただただ来てくれたお客さんへの感謝の念をつのらせた。そして自然と僕の方からお客さんへ近づいていった。お客さんに話しかけると、突然話しかけられた彼等は一瞬キョトンとしたが、相手が作者の僕だと知るや、とても喜んでくれた。初めて訪れた写真展で、写真を観て、そして僕と会って帰っていく、ということがお客さんにとってとても実りのある時間だったという感想が、のちに僕に伝わってきた。友達同士が連れ立って 2〜3人のグループで来る場合は、にぎやかに来てにぎやかに帰っていくので、こちらから声をかけない場合もあったが、一人寂しそうに入って来て、30分後また一人寂しそうに会場を去っていく姿を見ると、なにかいたたまれず、出来る限りさりげなく声をかけた。すると彼等の顔に笑顔が浮かび、どこか伸び伸びとして帰って行った。僕は良いことをした、と思った。

 そして、そのうち僕はある行動に出た。一人で来ている人同士を僕が真ん中に入って紹介してあげるのだ。すると、音楽という共通の趣味に話がはずみ、仲良くなって会場を去っていくのだ。僕は、そんなお客さんの後姿を見送りながらとても幸せな気分になった。このおせっかいな僕の習性はその後も続き、何度となく個展を開いたが、今も同じ様に人と人の間に入っては紹介を続けている。「あの時ハービーさんの個展で会わせてくれた友人と今でもコンサートに一緒に行ったりしています。」という声が時々聞かれる様にもなった。

 20数年前のパルコの時と違って、洋楽ファンは減ったが、邦楽のミュージシャンの個展をしても、また音楽に関係ない個展でも僕の行動は同じだ。一人寂しく会場に来て、一人寂しく会場を後にする、こうした姿を見るのが未だに僕にはやりきれない。かつて僕も10代〜20代のはじめ、ギャラリーに一人で行き、一人寂しく帰って来るのが通例だった。会場で作者を見かける時が折につけあったが、彼らは知り合いや仕事上のつき合いのある人が来ると相好をくずし、それ以外、なんのメリットもなさそうな人にはむっつりしている。そんな場面を何度も目にしてきた。僕はそうはなりたくない、という思いをいつしか強く持つ様になった。

 
良いハートを持った人達同士が出会え、新しい友人が出来る個展。寂しい人が減っていく個展。それが僕の理想の空間だ。僕のおせっかいは、個展を重ねるたび、ますます増長している様だ。