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ハービー山口「 My window 」 LONDON 1982
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第34話 『 lovely man Herbie man 』

男性であっても自分に似合った服を身に付けることはとても意義深い。その日を楽しむためにも、生きていく自信を持つためにもファッションは一つの精神的な刺激だ。だらしない格好より自分が納得した格好をしている方が人からの評価は絶対に高い筈だ。ところが写真を学ぼうとする経済的に余裕のない学生の場合はどうだろうか。僕は写真学校でのトークショーで、しばしばお金の使い方やファッションについて触れる時がある。
 「君たちさあ、とくに女の子はブランド品に憧れるじゃない。欲しい気持ちはわかるけど、もし、写真に真剣に取り組むんだったら、今はブランド品を買うより、そのお金を写真のために使った方が利口だよ。お金をフィルム代にしたり、旅に出るために使うのさ。旅っていうのはどこかに出掛けるのも旅だけど、ここでいう旅は、名作といわれる映画のDVD借りて観たり、写真集を買ったり、人と会ったり、今日、このトークショーにきたことだって大きく括れば旅なんだ。フィルムを買うのも一つの旅だね。
そうしたものに時間とお金をかけるんだ。自分に投資することだよね。仮にブランドの財布を無理して買ったとする。でもその財布は10年後ボロボロになっているでしょう?ところが旅や費やしたフィルムは10年後、君達の人格の中で毅然として輝いているものになるんだ・・・。旅もフィルムもブランドも全部まかなえるのに充分なお金を持っていれば話は別かも知れないけど、大抵の人は、どれかを選ばなくちゃいけないでしょ。だとしたらブランドは30歳を超えてからだって買えるんだから、今は自分の旅の為にお金を使うべきなんだな。」
 そんな話をする僕だが、それはロンドン時代の経験に基づいている。ロンドン時代、とにかくお金がなかった。住み始めて間もない頃、VISAも技術もない僕に仕事などあるわけがなかった。家賃とフィルム代と食費で精一杯だった。ちゃんとした食事は日に一度、あとは空腹をポテトフライとかインスタントラーメンでごまかすだけだった。だから何年にも渡り、いつも同じような服を着ていた。その癖がいまでも残っている。しかし、そのお陰で写真家になれた。
 でも、今は時代が違うのだ。ユニクロだってあるし、かなりの贅沢が許される時代だ。あまりみじめな格好をしていたら気は晴れないだろうし、だから少しは服を買って、でもやはり、大半のお金は写真に、自分に投資すべきだと思う。
 今の僕はどうだろう。青山から原宿方面に向かったところにイギリスのブランド、ポール・スミス スペースという洒落た店がある。そこでジャケットや奇抜なデザインのネクタイを見たり試着したりするのがすごく楽しい。ある日スペースに行った時、出来るものなら僕のロンドンの写真集をポール・スミスさんご自身に見せたいと思いついた。
 僕がスペースへ行くといつも話をするNさんと言う女性スタッフに尋ねてみた。すると事務所のMさんがそうしたことの係りだと教えてくれた。そのMさんは、偶然にお店にいらした。僕が自己紹介をすると「数日後にポールが来日するので、すぐに写真集を送って下さい」とおっしゃった。なんと上手いタイミングだろう。しばらくしてMさんからメールをいただいた。「ポールが写真集を凄く気に入ったので明日のパーティーにいらして、本人にお会いになりませんか」という内容だった。
 翌日のスペースでのパーティーは人々でごったがえしていた。こういう状況でポールさんと面会するのは至難の技だ。しかし、僕がポールさんの近くに行くと、ポールさんの方から笑顔で僕の方に向き直ってくれた。僕は自分の名前と先日郵送したロンドンの写真集の作者であることを告げた。ポールさんはすぐに合点がいき、「君かぁ!」という表情で、「I love it !!」と大きな声で言ってくれた。「ここじゃ話が難しい、明日、成田に向かう前、ここに立ち寄るから3時にここに来ないか」ということになった。翌日、渋谷の写真専門学校で3時近くまでトークショーがあった。講演後、生徒達との会話もそこそこに僕はバイクでスペースに向かった。しばらく待つとポールさんが昨日と同じ笑顔で現れた。「すまんね、待たせて。イギリスに電話をしてたのが長引いちゃって・・・。」彼は紳士だった。昨夜と同じ様に握手の手を差し伸べてくれた。バックから取り出した僕のライカを見て、「僕もミリタリーのライカを持っているんだ。」と嬉しそうだった。話がライカからアンリ・カルティエ=ブレッソンに話が移った。「僕は昔、父と一緒にアンリに会ったことがあるんだよ。彼はそっぽを向いて、カメラは被写体に向けて、さっと気付かれないように撮るんだ、と教えてくれたんだ。」 僕にとっては興味深いブレッソンのエピソードだった。僕は会話を続けながらM3に50ミリを付けて静かにシャッターを切り続けた。場所を変え、ポーズを変え、そのたびにポールさんは「OK 、ここは暗すぎるかな」と気遣ってくれた。「ロンドンのどちらにお住いですか?」と尋ねてみた。偶然にもポールさんのお住いは僕がロンドン時代の後半に住んでいた、ポートベローにある教会の近くだった。話がとぎれることなく、そしてポールさんは僕に親しみを感じてくれた様だった。30枚程撮影し終わったところで僕は彼に礼を言って頭を下げた。撮影は15分位だっただろうか。彼はこれから成田へ向かわなくてはならない。2階から降りてきたスタッフに僕のことを「He is a lovely man!!」と大きな声で伝えた。ポールさんは改めて僕に握手し、僕は「良いフライトを」とポールさんに言った。すると、「いつか君の作品を飾ることを考えているよ。」と言ってくれた。改めてポールさんのフレンドリーな態度が嬉しく、僕もこうありたいと願った。
 こうしたことが出来るのは写真、カメラというものが存在するからだ。バイクを走らせながら昨夜と今日の、「I love it !!」そして「He is a lovely man !!」という、ひときわ大きく発せられた彼の声を僕は何度も頭の中で繰り返し思い出していた。
 さて、人生には楽しいことも辛いこともある。それだけに幸せな時を大切に過ごさねばならない。そして辛さを乗り越えるのもまた人生の勉強なのだ。つい2週間前、僕の母が旅立った。86歳だった。父は僕がロンドンにいた頃、もう20数年前にお別れした。だから両親ともこの世にいなくなってしまった。ぽっかりと穴が開いた様な寂しさがあるが人間だから仕方ない。福山雅治さんや吉川晃司さん、友人からお花が届き、文字通り花を添えていただいた。母が写っている写真はたおやかで幸せそうな表情をしていた。10年近く前の写真だが、書を習っていた頃の発表会が銀座の鳩居堂のギャラリーで行われ、その時、母の表装された書と共に僕が撮影した半身像だった。この顔を見ていると母はきっと平和な老後を過ごしたのではないかと想像出来た。
 あとは僕がこれからいかに人から好かれ、良い写真を撮り続けるかが母への大きな供養につながるだろう。両親の誇りになるような息子であり、誇りになるような人生を歩むことが僕にできるだろうか。「I love it !!」 「He is a lovely man !!」 笑顔で発せられたポールさんの声が再び僕には聞こえた。母の旅立ちもポールさんに会えて写真を撮らせていただいたことも、僕にとって大きな旅のひとつだった。