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第38話 『 信念 』

先日、ある若手テノール歌手の方を撮影した。彼はアメリカ出身で今年31才になる。オペラのテノール歌手というと小柄で、太った体形の方が多いというのが定説だ。しかし、彼は、身長が198cmもあり、細身そしてかなりのハンサムだ。テノール歌手になる前は学生時代にバスケットボールやモデルもやっていたというから、そのオールマイティーさには驚いてしまう。
これからも、人生を幅広く過ごしたいから歌手でもありモデルとしてオメガのコマーシャルに出演したいと抱負を語ってくれた。その彼が撮影中にしきりに言っていたことがある。「僕はね、ロマンティックなものが大好きなんだよ。そしてコンテンポラリーなものより伝統を受け継いでいくスタイルの方が好きなんだ・・・。」 僕は彼のこの言葉にすごく安心感を覚えた。何故なら、僕もロマンティックなものが好きで、写真の伝統の中にちょこっと自分の個性を光らせる方法が好きなのだ。今まで見たこともない写真を撮る意義はあるだろう。また彼の分野でいえば、今まで聴いたこともない歌唱法によるテノールを編み出すのもすごいことだと思う。しかし彼も僕も伝統の中に身を置くことの方が自分たちのスタイルだと思っている。
アメリカから来て、31歳という年令そして、モデルもやるという彼が伝統という言葉を口にし、それが好きだと言った時とても嬉しく思った。
 そして、彼を撮った二週間程前に大野和士さんという現在ベルギーに住んでいて、国際的に活躍している指揮者の撮影をした。彼は50代、やはりとてもハンサムな方で時に敵を見る野武士の様にキラリと目が光る。かと思えば、僕が「今度は柔らかい表情で」とお願いすれば、たちまち柔和な笑顔を作ってくれる。撮影の時、周りにいた人達は、彼のことを「大野さん!」と呼ばず、「マエストロ!」と呼んでいた。彼もクラシック音楽という長い伝統の上に立っている方だ。その上で、彼は海外で大いに認められ、日本や世界で活躍している。何十人もいるオーケストラの一人一人が、このマエストロの指揮に全神経を集中させて動いていくのかと思うと、彼に畏敬の念を感じる。正にマエストロだ。大野和士さんは数年前に一度撮らせていただいたことがある。僕の写真を気に入ってくれてヨーロッパで使う彼のアー写(アーティスト写真)や彼のホームページのtopには僕の写真が使われている。
 先のテノール歌手の彼と大野和士さんは来年2009年11月、渋谷のBunkamura、オーチャードホールで共演することになっている。
さて僕はこの二人のクラシック界、オペラ界のスターの堂々とした、そして気さくに僕のリクエストに応じてくれる心豊かな態度を身近に感じながら、文化とは何なんだろうと考えてみた。
彼等の顔には地に足の着いた自信というか、何事にも動じない信念が見えるのだ。その堂々とした態度は、若手の俳優やポップ歌手のそれとはどこか違う。
 若手の俳優やポップ歌手が、“さあ、次の流行はなんだろう。何をやれば流行るかな、売れるかな」といったことに捉われているのに対し、大野さんや彼の中に、何が来ようが俺は俺、という毅然とした五重塔を支える心柱の存在を感じるのだ。
こうした強い信念を持つことは単純なようでいて難しい。我々の心は今吹いている時代の風に敏感に反応するからだ。つまり今の流行に乗り遅れると心がすごく不安定になってしまう傾向が誰にでもある。自分の信念をゆるがせない、というのは大変なことなのだ。
 さて、日本という国は、この信念を持つのに適した国だろうか。それとも、今流行りの事象に追いつくのにあたふたとしてしまう国だろうか。残念ながら日本は後者だと思う。膨大な情報に我々は流されてしまい信念を見つけ保持することが難しい国なのだ。ヨーロッパはその点、マイペースに信念を培うことが出来る土壌がある。
 かつて僕は1970年から80年代にかけて、ロンドンに住んでいた時、ジョージという青年を含む数人で一軒の家をシェアーしていたことがある。このジョージが後のカルチャークラブのボーイ・ジョージになった。しかし、カルチャークラブのボーイ・ジョージという世界的に一世を風靡した名前を今の日本の若者はほとんど知らない。20年以上も前のことだからだ。ところが、欧米の若者にこの名前を言うとそのほとんどが知っている。この違いは一体どこからくるのか?現在ボーイ・ジョージが、カルチャークラブを解散後、アメリカやヨーロッパでのみ活動しているという原因もあるだろう。しかし日本には熱し易く冷めやすいという体質の文化があるからだということがいえるのではないか。かつて日本で知らぬ人がいなかった、ウーパールーパーやエリ巻きトカゲをもてはやした騒ぎは何処へ行ってしまったのか?
 我々は、次から次に登場してくる時代の新しいマスコットに振り回され過ぎてはいないだろうか。流行のもので身を包めば一安心するという気持は誰にでもあるのだろうが、こと信念に関わる次元では、流行という流れに負けず、自分にとって最も大切なものを見つけ見失わないことが必要だ。信念に裏付けされた自分自身の落ち着いた心の強さが、今後、最も重要なものになるであろうことを僕は想像している。