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「街角」ニューヨーク 1992
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第42話 『 ハンディキャップ 』

 1月20日といえばバラク・オバマ氏がアメリカ初の黒人大統領として就任した記念すべき日だ。近い将来、一人一人が社会で責任を持ちつつ、肌の色が違っても誰もが平等に扱われる平和な世界が来るのだろうか。暗いニュースが多い中、オバマ氏の就任が明るい期待をもたらしてくれている。
 1月20日くしくも僕の誕生日でもある。なんと59回目だから嬉しくはないが、世界が変わろうと地球人がこころを一つにした日と重なるのは何かの縁だ。
 かつて、1970年代の終わり頃、僕は一番若手の方だった。ロンドンで撮ったミュージシャンの写真を、たまに日本の雑誌に送ると、見ず知らずの編集者から「ハービーさんって、こんなに良いポートレイトを撮っているけど、まだ20代なんだね!てっきり40代位の人だと思っていた。」と称賛の言葉をいただいたものだ。
 その20代の頃、僕は肉体的にすこぶる体調が良行で、きっと僕には特異体質が備わっていて、きっとこのまま一生、老いとは関係のない人間だと感じる程だった。日本人の友人と徹夜で麻雀をし、翌日、炎天下で2試合草野球を続けさまにやっても平気な顔をしていた。将来に向けて写真家になる夢も着々と進んでいる様に思えたし、取り敢えずこころの中に何の不安もなかった。精神的にも肉体的にもこの世に存在しているだけで、爽快感とか充実感で全身がみなぎっていた。脳は研ぎ澄まされた様にシャープで腹の底から一種の快感が湧いてきていた。常に孤独と不安にかられて毎日を過ごしていた幼年期から少年期から比べるとなんという変り様だろうか。
 ある日、何人かでパブに行ってビールを飲んでいた。うらら暖かい春の日だった。顔にしわの一本も無い血色の良い僕の顔をのぞき込んで、画家志望のユミという女の子が「ハービーっていつもこんなに穏やかな顔をしてたっけ!?」と言ったことがあった。周りの人達が改めて僕の顔を見た。「そうそう、いつもこんな顔だよ。」 その時はいつもにまして僕はたおやかな気持ちが強かった。それ程精神と肉体のバランスが完璧に取れていた。生命力が一番あったのが20代のロンドン時代だった。だが良いことばかりではない。ロンドンに来て、日本では感じなかった人種偏見というものを実感したことも直々あった。イエローボーイ、ジャップ、アジアン、ファーイースターなどと呼ばれ、パティーやディスコ等でも突然「日本人は戦争中に残酷なことを平気でやってきた人種だ。」と非難されたりもした。人間は肌の色、文化、宗教の違いで優劣をつけたがる。だがこうしたネガティブなすべてを僕は若さと希望で乗り越えていた。新ファーストレディー、ミッシェル・オバマさんは就任式や舞踏会で、キューバや台湾出身の新鋭デザイナーのドレスを着用されたと報じられたが、これは人種差別のない平和な世界を示唆するメッセージが込められていたのだろう。
  20代の時からあっという間に30代、40代が過ぎ50代になってしまった。日本にいると雑多なことがらに気が取られ、すぐに日々が流れていってしまう様に感じる。さして重要でもない仕事を生活維持のために受けると、収入に見合わない多大なエネルギーが吸い取られた。これを生活のしがらみと言うのだろう。20代のロンドン時代、このしがらみがほとんどなかった。何故だろう。ロンドンでの写真の全てが重要かつ価値があって、日本での写真にはそれ程の価値がないとは思いたくない。確かにロンドンで撮ってきたミュージシャンは世界的に高名な、時にはロック史上で伝説的な人の場合も多かった。日本で撮ってきたミュージシャンは日本だけ、せいぜいアジアでのみ通用するケースが多い。だが日本のミュージシャンだってイギリスのミュージシャンと同様、才能に溢れ、ものを創るのに命を賭けている若武者達だ。いつか日本の音楽が世界をリードする時が来れば日本のミュージシャンはその優秀さが世界に認められるだろう。だが一つ言えることは売るための仕掛けは日本の音楽界の方が西洋より巧妙だ。西洋では実力が無い人材に余りお金をかけないが、日本はバブル景気のさなか、プロモーションに途方もない多額のお金をかけ、ファンや人々を洗脳しようと仕掛けた。その結果、実力はさて置き、人気が先行すればしめたもので、新人が稼ぎ頭に化けることがあり得たのだ。特に日本での商業主義の中でもまれ翻弄されていると、アーティストが純粋でい続けることが西洋より難しい気がする。つまり、ともすればお金儲けが第一義で、作品の純粋さが第二義になってしまうのだ。写真でも音楽でもこと創造物に関して言えば、アーティスのこころに即せば即す程作家にとって有意義な作品になるのだが、やらせの仕掛けの中にスタッフとして参加することは、無垢な精神を疲弊させた。「せめて写真だけでもアーティストっぽく撮って欲しいんですよ」 80年代から90年代にかけ、クライアントから度々言われたこの一言がむなしく聞こえた。
 常に純粋で撮りたいものだけを撮って生活が潤えば文句無しだが、そんなに都合良くことが運ぶわけがない。ところが僕の写真からもし純粋さを取り去ってしまったら、その魅力や輝きのほとんどが失われてしまうだろう。僕はどんなことがあってもしがらみに流されたり、純粋さを失ってはならない。ここにある種のストレスが生まれる。そんなこんなで60代も間近な僕の体には錆びがたまり、去年の10月、生まれて初めて坐骨神経痛なるものを患ってしまった。遠出はもっての外で、2〜3分歩いてはガードレールに体重を預けて一休み、これを繰り返すという情けないことになってしまったのだ。幸いライカ好きのカイロプラクティックのS先生に出会え、週2〜3回通いつめ、今では99パーセントの回復をみた。初めての施術の前、腰椎のレントゲン写真を撮ってくるように言われた。それを持って行き、先生としげしげ見ていると、かつて生まれて3か月目で患った腰椎カリエスでやられた背骨がライトボックスの上に浮かび上がった。1番から5番までの腰椎がかなり曲がっていて、そのまま固まっているのだ。「ハービーさんの場合、体がこの曲がった骨に徐々に適応してきたわけですが、普通の人の骨がいきなりこんなに曲がってしまったら、まったく歩けなくなるでしょうね、、。」 
 適応しているとはいえ、20代の時とは違い、今の僕には腰椎周辺にはそれなりの不快感が微妙にあるし、腰の筋肉は常に張っているから下半身への血行は悪いだろうし、曲がった腰椎との連鎖で首や肩の骨は歪やすくなっているしで、重いカメラを取りまわすことが必須の写真家としてかなりのハンディを負っているのだ。これからはこのS先生と出会えたことで、月一回でも通い、曲がった腰椎と上手く共存しなくてはいけない。そこで本日1月24日、およそ一か月振りでS先生を訪ねた。「良いことにだいぶ骨盤が動く様になってきましたよ。でも首の骨がずれていますね。ここは精神的にも影響されるんですよ。」 「たまに鬱になりますね。」 「そういう時は肩や背中が縮まっているので胸を拡げて深呼吸をゆっくりすると副交感神経が優位になって楽になりますよ、、。」 そんな会話をしながらS先生は僕の肩の背骨をグイッと押し込み、次に首をポキッと鳴らした。15分位の施術で、その後30分もすると頭や体がさっきよりすごくすっきりしていることを実感した。まるで20代に経験した様に脳がシャープになっているのだ。
 昨年、知り合いの内科の先生とメールのやりとりをしていた時、たまに起きる不定愁訴を告げたことがあった。ガラス細工の様な脆弱な自分のこころに不安を覚えていたのだ。「だからこそハービーさんらしい素敵な写真が撮れるんですけどね、、。」 そう言われて少し気が晴れた。
 写真を撮るのも、音楽を創るのも心底から湧き上がってくるものが何より基本になる。それをもっとスムーズにするために何をすれば良いのか?僕の場合、敵だと思っていた体のハンディを、個性を紡ぎだす味方だと考えれば良いのではなかろうか。ハンディを持つことは決して悪いことではない。そう考えれば気持ちは楽になるし、人生の美しさや悲しさや真理がもっと見えてくるに違いない。純粋さや個性を失わないために向き合わなくてはいけないことが年齢と共に変わってくる。人にはそれぞれのハンディがある。そのハンディをどう味方にして個性として利用するかの新たな知恵を持つことが我々には大切なのだろう。