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TOPページ > ハービー・山口の「雲の上はいつも青空」 > 第48話 『アナログの嬉しさ』

第48話 『 アナログの嬉しさ 』

先日ヨーロッパに移住した日本人の方から、「毎月このコラムを楽しみにしています。共感したり励まされることが多いです」という連絡を頂いた。海外からもこのページをアクセスして下さる方がいるという事実を凄く嬉しく思った。便利な時代になったものだ。
僕がイギリスに10年暮らしたのは1973年から。通信はもっぱら手紙か国際電話の時代だった。手紙にも割安な船便と割高な航空便、つまりエアーメイルがあったと記憶している。国際電話は高くて僕のような極貧生活者には無縁のものだった。ある時、国際電話のオペレーターの知り合いができ、一度だけ日本の家族と無料で心行くまで話をしたことがある。何年振りの家族の肉声だったろうか。
その頃、毎日郵便屋さんが来る時間が楽しみだった。郵便受けにカランという音と共に、何かが擦れるような音がするとドアのところに飛んで行った。遠目に、赤と青で縁取られた封筒が見えると胸がどきどきした。しかし、何人かが一緒に暮らしているので、僕宛てとは限らない。近くに寄って、宛名が僕だと分かるとプレゼントをもらった子供の様にはしゃぐ気持ちを抑えきれなかった。またいつ来るかも知れない手紙だと思うと、すぐに開封するのはもったいなく、2〜3日、開けずに机の上に置いといたということもあった。
現代はパソコンというものがある。携帯電話で海外にもかけられる。なんという便利な時代になったのだろう。
しかし、と考える。便利な時代だが、どんなツールを使おうが中身が大切だ、ということがより問われるのではないだろうか。
昨年、僕のロンドンの写真集をポール・スミスさんに見せてほしいとお店の人に託したことがきっかけで、ポール・スミスさんとお会いし、ポールさんのポートレイトを撮ることが出来た。そのプリントがポールさんに渡り、数週間後、僕に一通の封書が配達された。なんとポールさん直々の、直筆のロンドンからの手紙であった。中には二つに折りたたんだカードが入っていて、「Dear Herbie , Thank you for the great photos. Paul Smith」と万年筆で書かれた字が躍っていた。彼の製品のタッグに記されているロゴと全く同じ字体である。彼はイギリスでSIRの称号を持っている高貴な人だ。その彼がメールではなく、直筆による手紙という方法が凄く嬉しかった。

似たようなことは続けて起こるものだ。ポールさんの一件と前後してこんなことがあった。僕のHPを介して一通のメールが届いた。差出人はKIM BOWEN.。この名前に確かに記憶があった。
1981年、冬、ロンドンの陽は極端に短かった。街路樹にかろうじてくっついている枯れ葉は冷たい木枯らしに震えていた。パンクが陰りを見せ、その代りに台頭してきたのがニューウエーブの波だった。パンクファッションがアグレッシブであったのに対し、ニューウエーブのファッションは繊細だった。考えられるだけの工夫を凝らしたメイクと斬新な衣装は、オリジナリティーを大切にするロンドンの若者に鮮烈な印象を与えた。この新しいムーブメントを始めたのは、スティーブ・ストレンジという男性を中心に集まったごく少数の若者達だった。世間がニューウェーブの到来を知る一年以上も前から、彼らはビリーズというクラブに集まり始めた。そして仲間が増えるにつれ、ブリッツというクラブに場所を移し、毎週木曜日の深夜に集まっていた。このクラブにはスティーブ・ストレンジの知り合いでないと何時間待っても入ることは許されなかった。幸い僕には彼と親しい知人がいて無事入ることが出来た。エレクトリックなサウンド、スリリングな衣装、軽快な踊りのステップ。色とりどりの、目まぐるしく動く照明に浮かび上がった地下のホールは、まるで水族館の深海魚の水槽を覗き込む様な、妖しい美しさに満ち満ちていた。

このムーブメントの中心人物の一人がKIMだった。彼女はPXというブティックの店員をやっていたが、その立ち上る美貌と色気によって周囲のデザイナーやアーティストの注目を集めていた。新作が完成するとデザイナーはこぞってKIMに届けた。そしてブリッツに行って周囲の人々の反応をデザイナーはチェックするのだ。

ある日、僕はPXに立ち寄った。自らにメイクを施しているKIMのライトに浮かび上がった横顔があった。反射的にカメラを構えた。ニコンF2、24ミリ。2回シャッターを切り、KIMの横顔は直後影に隠れてしまった。その最初の一枚が、その後、僕のロンドンの代表作となった「GALAXY 1981」である。僕とKIMは一度も親しく会話をしたことがなかった。彼女は、皆から注目を浴びる、僕にとっては美しすぎる遠い存在だった。スティーブ・ストレンジにしろKIMにしろ、彼らの知り合いになることは当時のロンドンの若者にとっては大きなステイタスだった。代わりにいつもフレンドリーで笑顔を僕のカメラに向けてくれたのがオカマのジョージだった。彼の写真は沢山撮った。後のカルチャー・クラブのボーイ・ジョージである。
さて、KIMからのメールにはこんなことが書かれていた。

「ハービー・ヤマグチさま。このメールが無事あなたに届くことを祈っています。実は あなたのロンドンで撮った写真に私が写っています。もう何年も前のこと、友人がトウキョウに行き、私の写っている写真がジクソーパズルになっているのを見つけ、面白がってお土産に買ってきてくれたのです。何年もの間、そのジクソー・パズルは部屋の隅にしまいっぱなしになっていました。つい最近偶然これを見つけて、改めて自分が写っている写真を眺めました。とても美しい写真で、アンドレ・ケルテスの作品に流れる様な静謐な美しさを見出します。
私はいま、ロンドンを離れ、ロスに住んでいてスタイリストをやっています。あの写真のオリジナル・プリントを是非買いたいと思っているのですが、それは出来ることなのでしょうか?あの頃のロンドンが、そしてあの頃の私が、あの写真の中にいるんです、、。」
僕はすぐに返信した。
「KIMさん。メールをとても嬉しく思いました。あの写真は僕の代表作になりました。プリントを売る、というより、モデルになってくれた最大の感謝の意を込め進呈させていただきたいと思います。」
早速僕は暗室に入り一枚のプリントを完成させ、丁寧に厚紙に挟み投函した。
数日後、アメリカの切手が貼られた一通の封書が届いた。KIMからの丁重なお礼の手紙だった。彼女の喜びが行間から伝わってきた。メールで始まった、28年の時を超えてのKIMとの会話が、最後には手紙という手段になったことに、KIMのこころを感じた。

もはやデジタルでなければ出来ないことは沢山ある。しかし、デジタルにしろ、アナログにしろ、精一杯伝えたい気持ちを一番大切にしなければならない事実は常に忘れてはならない。アナログが思わぬ底力を発揮する場合が今だからこそ多々あるのである。

ハービー・山口 情報
1. 写真集 「HOPE 空、青くなる」 講談社刊 120ページ 3,333円 6月18日発行
2. 写真展 「ポートレイツ オブ ホープ〜この一瞬を永遠に〜」
  川崎市市民ミュージアム 6月20日〜8月16日
ロンドン、代官山17番地、日本でのスナップ、ベルリンの壁崩壊のドキュメント、ミュージシャンのポートレイトなど220点の大規模写真展。
kawasaki-museum.jp