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第51話 『 きれいな心と感謝の念 』

お説教だと言われてしまうかもしれないが、たとえば腕にはめた50万円の腕時計と、さっき駅前でもらった無料のティッシュと比較した場合、一体どちらにより多くの価値があり、ありがたく思うべきなのだろうか。「そりゃ、50万円の腕時計でしょう!」と普通は思うが、答えは「二つとも同等の価値が宿っている」のである。

例えば、軽い登山をしたとしよう。運悪く山道で足を滑らせ、思わず小枝につかまろうとしたら、手のひらを切って傷から血が流れはじめてしまった。この時、50万円した腕時計は、傷の手当に何の役にもたたない。しかし、無料でもらったティッシュは傷の応急処置極めて有効である。そして後日、お金に困窮したこの人は50万円の時計を質に入れ、急場をしのいだ、、。
この様に考えると、時と場合によって、何にでも魂が宿っていて、人の役に立つことがあるのである。道に落ちている枯葉一枚にでも、誰かの心をなぐさめているかも知れない。何に対してでも感謝の気持ちを忘れてはならない、というたとえ話である。

いつだったかロンドン時代の友人、けんちゃんが僕にこんなことを言った。「人にはそれぞれ違ったバイブレーションがあるんだ。そのバイブレーションが相手に伝わり、この人と気が合う、とか合わないという差が出てくるんだ。我々のこころにもバイブレーションがあって、一番良いバイブレーションは、何かに感謝している時に放たれるバイブレーションなんだ。逆に一番いけないバイブレーションはどんな時に放たれると思う?それはね、何かを妬んでいる時のものなんだよ、、。」

僕はけんちゃんのこの言葉にいたく感動した。僕の人生で、人を妬む時はたくさんあった。ロンドンでは、お金も長期のビザを持っていない僕にとって、広い家に住んで悠々自適の日本人に会うと、どこかこころの中でこの人達を妬んだ。まだ一本立ちには遠く及ばない僕自信の将来への不安や、この先どれだけイギリスに暮らせるのだろうかという心配も手伝い、その上、日々の貧乏暮らしに疲れ、いつしかこころは荒れすさび、妬みが見え隠れしたのである。

日本に帰って来てからも人を妬む時はあった。同じ写真家なのに、この人はビジネスに長け、億の収入を稼ぎ出し、また、あの人は有名な賞をもらって名声を築いた、などなどである。

だがけんちゃんの言葉を聞いて以来、僕のこころは軽くなった。人を妬んではいけない、神様が僕に、「もっと努力しろ」、と言っているのだ。もっと努力すればさらに良いことが待っているかも知れない。すでに感謝することが、足元に、身の周りにある筈だと、、。

感謝する大切さと同時に、もう一つ押ええておくべきことがある。それは、「人の役に立つ人間になる」ということだ。命のないロウソクだって、燃え尽きるまで明かりを放ち、闇を照らして人の役に立ってくれているのだ。人間ならばなおさらのこと、どうやったら人の役に立てるかを考えるべきだろう。そして人の役に立てたことに感謝するのだ。そうすればこころはきれいになる。

僕の記憶が正しければ、ドラえもんの声優を長く務めてこられた大山のぶ代さんは、ラジオでこんなことを言っていた。「毎朝、家の前の道路を掃除するんですよ。その時、両隣りの家の前も軽くきれいにしてあげるんです。これを黙って何年も続けていると、徳が身に付くんです、、。」

見返りを期待することなく誰かの役に立つこととは何と美しいのだろう。しかし、きれいごとはいくらでも言えるが、実行は難しいのだ。

2年程前の大雨の日のこと。当時、僕が担当していたBS−TBSの音楽番組の撮影で丸の内まで行く道すがら、傘をさして横断歩道の信号を待っている時だった。僕の後方に若い女性が、傘もささず濡れ細っていた。「どうぞ、僕の傘に入って下さい」と声をかけた。彼女はほっとした様に、僕の傘に入った。広島から美容師を目指して上京し、この日が東京生活の一日目だということだった。「このビルの中を通って行けば東京駅まで、少しは濡れないで行けますよ」、そう言うと彼女は嬉しそうに元気なうしろ姿を見せた。
「東京にも結構良い人いるじゃない!これから東京で上手くやっていけるかも、、。」彼女はこう思ったかも知れない。

写真を撮るには被写体に恵まれることが必須だ。その被写体が目の前に現れてきてくれたことに感謝しよう。「きれいななこころと感謝の念を持つ。」 そうすれば何か今までと違ったものが見え、こころのバイブレ−ショが写真に備わり、見る人にも伝達されるのではないか。写真の深さには、そうしたものがどこかで起因しているのである。