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TOPページ > ハービー・山口の「雲の上はいつも青空」 > 第56話 『桜の頃』

第56話 『 桜の頃 』

もう桜の季節が今年もやってきた。僕の部屋から、眼下に目黒川の桜並木が川沿いに続いているのがずっと見渡せる。今日、3月25日の段階で、桜の花は開いておらず、冷たい雨もふっているので、開花はまだ先のことだろう。この季節になると、一か月限定で桜並木に色とりどりのぼんぼりが設置される。夜になるとこのぼんぼりに光がともる。ただ桜だけでさえ華やかなのに、このぼんぼりのお陰でこころの中の闇を明るく照らしてくれるようで、嬉しさを感じる。例年ぼんぼりの設置の工事を見ると、あー、今年もやっと春が来たんだ、と感慨にふけるのが常だ。しかし、今年はどういうわけか、設置工事を見逃していて、昨日窓から川を見下ろしたら、なんと設置工事がすでに終了していた。桜が花を付け、ぼんぼりに灯がともるのを待つばかりである。4月の下旬に、このぼんぼりは撤去される。この時の寂しさは特筆に値する。希望を予感させる春の象徴であるこのぼんぼりが、来年の3月まで撤去されるということは、暑すぎる夏が間近だということに他ならない。僕は、暑すぎる夏も、陽の短い、寒すぎる冬も嫌いで、いつまでも春がいい。

3月24日、昨日はある賞の発表の日だった。先々週、講談社の編集長からメールが入った。「講談社出版文化賞の最終審査に[HOPE]がノミネートされています。発表は再来週です。」

昨年に出版した僕の写真集[HOPE]が、受賞するかも知れないのだ。もし、受賞したら、僕の写真家人生の中で初めてのことだ。審査を務める専門家に認められるのは悪くない!僕の胸は高鳴った。

昨日、5時過ぎ、講談社から電話がかかってきた。結果は昆虫の写真を撮った作品が受賞したということだった。しかし、審査員のお一人である作家の椎名誠さんは、今の時代において、希望というテーマはとても的を射ていると強く推して下さったそうだ。

受賞は時の運、これからも希望を持って、人々に愛される写真を、人々のこころを優しくするような写真を撮っていきたいとこころに誓った。というのも、僕のこころの底流に「HOPE」に関して、一つの危惧があった。それは、日常の中の笑顔とか、ふと見受けられるポジティブな光景を集めたこの写真集が、取るに足らないもの、他愛のないものとして見過ごされるのではないか、という心配だった。

「平和な光景とか笑顔なんて誰にでも撮れますよね!」、という声を聞いたことがあったからだ。

昨年の暮れに発行されたの日本写真協会報の書評の欄で、長年日本カメラの編集長を務められた梶原高男さんによって「 HOPE 」について、次の様な意味のことが述べられていた。

最近は何故か暗いテーマを扱った作品の方が高く評価される傾向があるが、この本はハービーさんの人柄がそのまま表れた、明るく楽しい写真で埋められ、かつ芸術的である。」

「HOPE」の序文にも書いたのだが、幼少から高校生くらいまで、病魔に襲われていて、同級生からも先生からも社会からも相手にされなく、孤独と絶望と共に生きてきた経験を得ていると、世の中の何気ない幸せの一瞬が光り輝いて見えるのだ。笑顔もそうだ、人から笑顔を向けられることも僕自身が笑顔を持つことにも無縁だった僕には自分のカメラに向けられた笑顔に人一倍の嬉しさを感じるのだ。

カメラを構える僕に向けられた笑顔が物凄く眩しく感じられるのだ。その時の、こころのときめきを僕は素直に写真に撮っている結果なのだ。

そうした写真群が、審査の最終まで取り上げられ論じられたことは、僕にとって大いに自信につながるのだった。

もう20年以上前のことである。僕がロンドンから帰って来て2年目。パルコで大きな写真展を開催して、流行通信社から、[LONDON AFTER THE DREAM]が出版された。僕にとっての初めての写真集であった。多くの先輩写真家が褒めて下さった。写真展のパーティーで挨拶をして頂いた、写真家の奈良原一高氏、江成常夫氏らから素敵な言葉を頂いた。そして、このパーティーに来て下さっていた東松照明氏は、同席していた僕の母に「ハービー君はこれからもずっと、このままのスタイルで写真を続けてくれたらいいんです。」と語って下さった。10年間の飲まず食わずで頑張った成果が、この写真展、写真集に集約され、先輩写真家諸氏の暖かい言葉につながっていた。 この写真集が木村伊兵衛賞の候補になった。その後にお会いした東松照明氏は「あの本は絶対良い本だから、審査員に強く推しておいたからね。」と仰って下さった。 結局僕は受賞しなかったのだが、その翌年、あるパーティーで伊兵衛賞の審査員のお一人であった佐々木昆氏にお会いした。佐々木氏は木村伊兵衛のお弟子さんだった時代があった方だ。 佐々木氏としばらく写真のお話をさせて頂いたのをきっかけに、丁重に頭を下げて名刺を差し出した。

「あー 君がハービー・山口さんか。昨年の伊兵衛賞の審査の時なんだけども、君の写真集が候補作の一つだったんだけれど、10年、ロンドンに住んでいた、そして、ハービーっていう名前だろ。きっと生意気な奴に決まってると思ってね、君の作品を候補からはずしたんだよ。 でも、こうして話していると全然生意気な人じゃないね。受賞は君でも良かったんだよ、あれは綺麗な本だった。もうちょっと前に君と会っておくんだったな、、。」 僕の名前の印象によって受賞を逃したことはいささか残念ではあったが、 それよりも、僕のロンドンの写真集が東松照明氏が仰ったように、受賞に値する内容を持っていたことを改めて知り、僕はとても満足した気分に浸った。その後、僕が写真展を開催する折、佐々木氏に案内状をお送りすると、「今、ちょっと体をこわしていて、写真展には伺えませんが、これからのご活躍を期待しています。」という内容のお返事を必ずご丁寧に下さった。

そのハービーという名前であるが、このニックネームは、僕が20才の頃についたものだった。同じ中学を卒業した大学生が母校の中学に毎年、夏の一週間集まり、サマースクールと称して、、中学3年生を対象に勉強会を開くイベントがあった。余暇にバンドを作ったり、フォークダンスをしたりと、中学3年生は、急に数歳年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんが出来たみたいで大喜びだった。どこか青春の縮図の様な交流が、大学生同士、また大学生と中学生の間に起こる夏の一週間だった。 ある時、バンドを組んでいた我々を中心に誰が言い出したのか、洋風の名前を付けようというムーブメントが起きた。 フルートを担当していた僕は、僕のヒーローであった、アメリカ人のジャズフルート演奏家のハービー・マンから名前を頂き、ハービーというミドルネームを自己申告してすぐに受け入れられた。ギターを担当していた藤岡君はジェフ・ベックからジェフと名乗った。そして藤巻君はポール・マッカートニーからポールと名乗り始めた。その他にスティーブ、ボブ、アラン等がいて、中学生の中には、「あたしはジャニス!」と名乗る生徒もいた。みんな面白がっての成り行きである。ただアランだけは定着しなかった。その理由は、本名斉藤君が、「僕どこかアラン・ドロンに似ているでしょ!」だったので、これにはだれも素直に従わなかった。斉藤君は、サマースクールの期間中、「斉藤!」と呼んでも聞こえない振りをし、「アラン!」と呼ぶと返事をするという、必死の作戦に出たが失敗に終わった。

昨年、映画、崖の上のポニョがヒットしたが、この映画の主題歌を大橋のぞみちゃんという女の子が歌っている。こののぞみちゃんの後ろに、二人の中年オヤジがいるのだが、実はこの二人がこの時のジェフとポールなのである。 だが、僕にはハービーと名乗る理由が、遊び感覚の他にあったのである。生まれて3カ月後に感染し発病した、腰椎カリエスという病気が、高校生の後半頃にほぼ完治したのだ。しかし、レントゲン写真を見れば、今でも後遺症として、5本ある腰椎が曲がって短くなっているのが良くわかる。 この曲がった背骨を持ち、この周辺の筋肉が、常に異常に凝り固まっているというハンディキャップを除けば、発病以来ずっと僕を悩まし続けていたこの苦痛から逃れられて、健康な生活が送れるのだ。 そう実感した時、この拾い物のような第二の人生を、サマースクールで頂いた、ハービーという名前を使って生きてみようと思ったのだ。 病気の時代とは対照的な、友達が沢山いて、人から愛されて、受け入れられて、健康で、笑顔を絶やさない、そうした人間像をハービーという名前に託したのだった。 以後、ずっと、僕の名前はハービー・山口である。

(次号につづく)


ハービー・山口写真展「希望の季節」が2010年4月6日(火)〜18日(日)の間、
ルーニィにて開かれます。是非ご高覧下さい。
http://www.roonee.com/?p=661