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「1970年 20才 憧憬」より 1970年 東京
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第59話 『自分らしい写真を撮ること』

写真を続けていく中で先人、先輩のご意見を頂くというのはとても貴重なことだ。長く写真を続けていくうち、自分の写真に自信が持てなくなったり、これからもこのままで良いのだろうかという迷いや不透明さがこころの中に生じてくるのは、誰にでもあることだ。多分,かなり高名な写真家でも,仙人にでもならない限り、ある程度の葛藤とか、迷いが、あると想像している。
1985年だったか、僕が渋谷パルコで写真展を開いた時、オープニングにいらして下さった東松照明氏が、僕の母に「ハービー君は、このままのスタイルで、写真を続けていけば良いんですよ」とおっしゃって頂いた。この言葉がその時の僕に大いなる自信を与えてくれた。

僕が本格的に写真に取り組んだのは大学生の頃、つまり20才の頃だ。それが、1970年のことだから、今年で40年という長い写真生活を続けてきたことになる。
特にどなたかの先生に師事したこともなかった僕にとっては、時々出会う高名な文化人とか写真家の方々から発せられる、僕の写真に対する言葉が、羅針盤を持たぬ航海の途中、波打つ大海の中で見つけた灯台の様に唯一の希望であり頼りであった。

さて、先月、四谷ルーニーで細江英公氏の個展があった。70年代に撮られた、舞踊家、土方巽氏を撮った写真群だった。黒の締まったモノクロの写真からは、土方氏の舞踊に対する特異さと情熱、緊張感が伝わり、カメラを構える細江氏の写真術との見事な闘いの跡がほとばしっていた。
個展期間中、ルーニーから電話をもらい、「ハービーさん、細江先生いまからこちらにおいでになるそうですよ!」「あっそうですか、じゃすぐにバイクでかっ飛んでいきますよ!」そんなやりとりの末、僕は何度かルーニーに出掛け、細江氏と対面した。

やはり、1985年、僕は一度細江氏直々に電話をもらい、ご自宅でのパーティーに招待を受けたことがある。「実はね、私の娘が君の写真のファンということで、君を我が家に招待したいんだが、、。」
久我山にある瀟洒な白い立派なお家は、とても素敵で、奈良原一高氏や並河万里氏、福島辰夫氏らをはじめとし、画家やアーティストが沢山集まっていた。何より驚いたのは、リビングルームに行くと、バイオリン、チェロなどで構成された生の室内楽が演奏されていたことだった。
パーティーの途中、僕が持参した、出来たての「LONDON」のビデオを皆で観賞しようということになった。一時間近くの長さのビデオをパーティーに参加した全員が床に座って、のめり込むように見て下さった。上映が終わると、「うーん、いいねえ!」という言葉がさざ波の様にそこかしこから聞こえた。
細江氏が歩み寄って来て、「君、これは傑作だぞ!」と僕の手を握りしめて下さった。

ルーニーでの細江氏は缶ビールを片手に、ギャラリーで偶然出会ったお客さんとおしゃべりをして、そうした時間を楽しんでいらっしゃるご様子だった。
僕はあらかじめ、細江氏の言葉をメモに取ろうと、万年筆とノートを持参して氏の前に座った。

僕がこの場で聞きたかった最大のテーマは二つあった。一つは、今まで細江氏がどういう気持ちとか心構えで写真を続け、国際的評価を得て来てこられたということ。そしてもう一つは、僕はこのままのスタイルで良いのだろうかということだった。

まず、第一の質問、氏はどういったことを考え写真を続けてこられたのだろうか。

「写真は被写体と自分との関係の芸術でね、単なる記録ではないんだね!自分ならではの表現というものが大切なんだね、、。」その言葉はとても穏やかな声と口調だった。
被写体を自分なりに捉えることに、氏はいつもこだわっていらっしゃるのだ。
「EDWARD WESTONね、彼の写真を見て、その人なりの写真があるんだってことを学んだのさ!リアリズム全盛の時代には、テーマが最も大切だとされてきたんだ。だが他の人と同じものではない表現方法をすることが大切だと思うようになったんだ。」

「先生!僕の写真はオーソドックスだと思うんですが、それについては?」
「オーソドックスは古典であり不変なんだな、他の人がやらないことをやろうとする考え方自体がオーソドックスなんだから、、。流行に惑わされちゃいけないんだ、惑わされちゃアーティストじゃない、それはマーケティングだよ。」
「WHAT、つまり、何を撮るかは人から教えてもらえるかも知れないが、HOW、つまり、どう撮るかは自分で考えるものなんだね、、。君の場合、深刻ぶった写真が多い現代の中、HAPPYだけをあのレベルで撮っている人なんて他に誰もいないじゃないか!
HAPPYは世界へ向けてのメッセージ!君は徹底的に人を幸せにする写真を撮ったらいい!一生HAPPYを撮る、そんな写真家はいないよ。日本で笑顔の写真っていうと、笑って金歯むき出しの悪意の笑顔の写真ってのはあったんだよ。
HAPPYとかHOPEというものは我々が常に望んでいるものだろう。問われるのは、その写真が深いかどうかだ、浅けりゃつまんないんだ、やりたいことを徹底的にする、するとおのずと道が開けてくるんだ、、。」

ルーニーで個展期間中、再び細江氏に会ったのは、この数日後だった。
僕に写真を見て欲しいと福岡から27歳の青年O君が、この日上京して来た。彼は、僕の様な幸せな人間たちを撮りたいと言った。僕は自宅近くで彼のポートフォリオを見た後、僕の車で彼をいくつかのギャラリーに連れていった。そして夕方近く、最後にルーニーに立ち寄ったら、30分後、偶然に細江氏が現れたのだ。「熱心だね!」と僕の顔を見るなり氏は大声を上げ嬉しそうだった。これは願っても無い良い機会だ。早速僕はO君を紹介し、彼のポートフォリオを見て頂くように頼んだ。
「写真の中の人物が後ろ向きとか、小さいだろ、もっと、人の顔を見たいね、、。人を撮るっていうのは難しいものなんだね、写真家の中に信念と誠意があって、それが相手に伝わって初めて撮れるんだから、、。」

それから約2週間後、日本写真協会主催の「変貌する世界の写真事情」と題する講演会があった。
語り手はPHAT PHOTOの編集長テラウチマサト氏、司会が細江英公氏だった。

MOMAの館長がキューレーターにアジアの写真に注目する様に指示している。でもアジアというともはや東京ではなく、中国を示している。しかし、日本の写真に注目している人も多く、日本の特に古い写真集が高く売買されている事実があるそうだ。
今、ヨーロッパでもニューヨークでも注目を集めつつあるのが、アレックス・プレガーというアメリカ人の女性写真家で、2か月前、日本での初めての個展を銀座のリング・キューブで開いた。
アレックスは「自分が撮りたいものを撮っているだけ、生活の為ではないの、結果的にビジネスにつながれば良いけどね、、。」というスタンスで活動しているということだった。アレックスが次の時代の写真界の中心人物になっていくのだろうか。
写真界という一種の世界地図があって、かつて、フォトジャーナリズムが地図の中心地であったのが、時代によって次第に中心が動いてきた。カルティエ=ブレッソンのような人間のドラマを撮ったものが中心だった時代があり、その後ニューカラーと言われる写真が中心になった時代が到来した。その後、アレックスの様な、現代美術的なアプローチで、大型プリントを巧みに展示し、いかに写真という概念を拡げたり壊したりするかが中心になってきているのだ。
こうした中で、自分が写真の世界地図の中でどの位置にいるのかを把握することが大切だとテラウチ氏は強調していた。
2時間、色々なことが語られたが、僕の関心は、写真家はこうした新しい写真の中心とどう関わっていくことが必要なんだろうかということだった。
参加者が退場した後、テラウチ氏と細江氏に、尋ねてみた。

細江氏は、「新しい中心に近づこうとするのではなく、中心を自分のところに持ってくる気持ちでいることが大切なんだ」。という答えが返ってきた。
また、テラウチ氏は、「ハービーさんは、すでに、一つの点を写真地図の中に作っている人だと思いますよ。その点をもっと大きくすることを考えたら良いんじゃないでしょうか。もっと多くの人を自分の点に呼び込む、そのために言葉による説明が必要かも知れません。新しい中心を見ること、知っておくことは必要だと思います。もしかしたら、何かの影響を受けるかも知れないから、、。」

長く生き、写真を続けるということは、写真を深くすることだ。そして、新しい潮流の空気を吸うこと。そうしたところに将来への道が見えてくると思ったこの一カ月だった。