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【TV番組出演のお知らせ】
BS-JAPAN 3月17日、24日(2週連続)19:30〜20:00 
『写真家たちの日本紀行〜未来に残したい情景〜写真家:ハービー・山口 』に出演いたします。
http://www.bs-j.co.jp/bangumi/html/201203171930_20068.html

【写真集発売/個展開催のお知らせ】
3月8日 講談社より写真集、「HOPE 311 陽 また昇る」が発売されます。被災された方々の生きる姿を捉えたポートレイト集です。是非、ご高覧下さい。
写真集は当オンラインショップでもご購入いただけます。
http://www.aaa-shop.jp/fs/aaa01/HBOOK-1

31日まで、椿山荘/フォーシーズンズホテルのロビー階でも個展を開催しております。
もし、お時間がございましたら是非。
http://www.chinzanso.com/event/news/1376.php



福島から甲子園へ 福島 2011
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第77話 『バリアフリー』

一月の下旬、数年前から毎年開かれているフォトグラファーズ・サミットというイベントの出演依頼を頂戴した。このイベントは大抵の写真関連の堅苦しさを払拭し、渋谷の大きなライブハウスで行うという独特の傾向があって、動員が700名以上という勢いを誇っている。
会場の設定からして、若者たちに大いに受けているイベントなのだろう。お客さんは写真家志望の人達だけではなく、ヘア・メイク、モデル、俳優、エディター、カメラメーカーと写真と関係のある様々な職種の人達まで動員するという、新しい傾向を作って来た。

主催する山田敦士さんと水谷充さんが私のところへ依頼を持っていらしたのが、一月の中旬のことだった。会場に参加者たちのポートフォリオが並べられ、来場したお客さんがそのブックを自由に閲覧出来るのがメインな機能であるが、それとは別に、大きなステージとスクリーンを使って、招待された写真表現者がプレゼンターとして、自らの作品を、来場した人達の前で発表する、というプログラムが組まれている。
第一部5名。第2部5名の計10名が、持ち時間5分で、自分の世界をお客さんに見てもらうのだ。
そのおおとりのプレゼンターとして出演して欲しいというのが、山田、水谷両氏のリクエストだった。
彼らは、出来るだけ様々なスタイルを持つ写真家を来場者に紹介すべく、毎回広い視野で10名の写真家を選んでいるということだが、おおとりで、という言葉を聞いて少なからず、私の中で覚悟するものがあった。
つまり、集まる多くが、恐らく30代や20代、ひょっとしたら10代の若い方々もいるかも知れない。そうした世代に、敢えて私をぶつけようとした、彼らの意図を考えてみた。
それはベテランの安定感を望んでのことなのか、はたまた、長い事写真に携わって来た結果の姿を若い人達に見せたいのか、、?
私は快く彼らのリクエストに応じ、出演を快諾したが、果たして若い参加者や来場者のこころに訴えることが出来るだろうか。
若い世代というのは、とかく新しいものに敏感で、恐らく古くさいものには関心を示さないだろう。恐らくスタイリッシュで流行に乗ったものが大いに歓迎されるのだろうと想像するのが妥当だ。
だが私は特に新しい試みを常に睨み時実行しているタイプの写真家ではない。むしろその逆に、オーソドックスなスナップポートレイトを好む人間だ。
パソコンでの加工も嫌い、未だに大切な被写体は、デジタルでも撮るが、フィルムでも残したいと思っている。そのフィルムだが、古いライカを使い、この時代にも関わらず暗室を二つも持ち、フォコマートというライツ製の精密な引き伸ばし機を3台も持っている。しかも、トリミングは一切しない。撮った時が全てで、トリミングしなければならないネガは失敗作として永遠に日の目を見ないのだ。
そうした縛りが、撮影時に緊張感、モチベーション、覚悟につながり、私の写真が生まれる。これを他の人には強要することはない。

さて、5分の持ち時間、一体どんな写真を若者たちに見せるのか。山田、水谷両氏が帰った後、考えた。常識的に選ぶとすれば、過去40年という長い撮影の日々から生まれた傑作写真を20枚から30枚見せれば説得力はあるだろうと推察した。
だが数日後、考えが変わった。40年間という長い間、写真を撮り続けてきて、その結果、今何を撮っているのかを見せた方が良いのではないか。
かつて、私がロンドンに住んでいた時代、ウイリアムという同世代のアメリカ人フォトグラファーが友人としていた。
その彼が私に常々言っていたことがある。「アメリカではね、ある写真家にいかにキャリアがあったとしても、じゃあ、今その写真家は現役なのであれば、何をどう撮れるのですか?ということが凄くシビアに問われるんだよ。」
その言葉を思い出した僕は、今撮っている東北の被災者の方々のポートレイトを見せることが一番だと気がついた。
私はいつもそれぞれの写真群に最適な一曲を選んで、それをBGMにして短編映画のようなスライドショーを作って来た。
2010年の「二十歳の憧憬」の写真展の時は、会場で流すためとスライドショーのためのBGMをインディーズのソングライターの入日茜さんと組んでオリジナル曲を作ってしまった。
ということで、使う楽曲にはとても気を使うのだが、東北の被災者の方のポートレイトのBGMを決めるのに、CDを引っ張り出し随分と悩んだ。
で、最適な一曲が見つかったのである。

イベント当日がきた。私の出番は21時30分頃だったので20時過ぎに会場に行った。案の定、渋谷O-EASTは若者たちでごったがえしていた。
このO-EASTは、私が数々のミュージシャンやライブを撮影してきた馴染みの場所だ。会場の雰囲気にのまれることは全くなかった。
私の出番がきた。ロンドンで買ったパンクのアイテム、OX-BLOOD(赤色をロンドンのパンクス達は、牛の血の色と表現していた)のドクターマーティンと呼ばれるブーツを履き、ジーンズに茶色の革ジャンで身を固めステージに上がった。

ロンドンのパンクロックミュージシャンから言われた、「撮りたいものは全て撮れ!それがパンクだ、」という私の常套文句を皮切りに、人々の希望を40年間撮ってきたブレない姿勢を話した。
私のトークショーを何度もご覧の皆様は、あー、またその話ね!、ということだと思うが、今ここにいるほとんどの人が私の名前も、何を撮っているのかも知らない人達と想像した。
そしていよいよ、スライドショーである。大音響でサウンドが流れ始めた。「私の人生は信念を貫いて来たから、何も後悔することはない。全ては私にこころの向くがままに人生を送って来た。I did it my way,,.」
シド・ビシャスの歌うMy way,が暗転した会場に響き渡り、次々と被災者の方々の笑顔、涙、素顔がスクリーンに写し出された。
ステージの上にいる私には、それまでざわざわとしていた客席が静まり返り、我に返った様な来場者の食い入る様にスクリーンを見つめる真剣な顔が見てとれた。
曲が終わり、上映が終わり、拍手が起こった。「写真の表現者も受け手も、アートを通して最後は、清い魂の持ち主になれたら最高だね!そして困っている人がいたら、助けてあげる優しいこころを持ちたいよね!」と言ってステージから下りた。再び拍手が起こった。

別に新しい手法やテクニックを見せた訳ではない。しかし、プレゼンは大成功だった。シド・ビシャスのMy Wayが大きかったかもとも思った。この選曲と誰の目にも解釈の簡単なストレートな写真もまた、見る者を素直にさせたかとも思う。
「新しい表現方法、または、従来の方法、そのどちらでも、好きな方を信念を持って続ければ、いつかは人に伝わる力のあるものが出来るのだと思う」ということを若い世代に伝えられたと実感した。

後日、このイベントについてのブログを見ていると、色々な人達が書いた文章が見つかった。
「ハービーさんの、スタイル、スタンス、言葉の一つ一つが全て格好良かった。写真を見て,始めて涙が流れた。あの選曲にやられた。この夜、多くの参加者がお金で買えない大切なものを持って帰ったのではないだろうか。深く心に訴えて来た、、。」

先に書いた様に、この夜、初めて私の名前を聞き、初めて私の姿を目にし、初めてわたしの写真を見、初めて私の生き方を知った人達が多かったと思う。
そうした、普段、写真展やトークショー、写真雑誌と関わらない、しかし写真関係に興味ある多くの人達に交われたことが凄く気持ち良かった。

若手〜ベテラン、友人〜他人、ギャラリー〜ライブハウス、メジャー〜マイナー、有名〜無名 伝統〜前衛、、。世界は違ったものとものの間の壁に余りにも遮断されている。
だが、双方が少し心の扉を開ければ、心の奥底は似た様なものではないかと思っている。
恐れる事は無い、バリアフリーなのである。新しい扉を開けてみようではないか!きっと価値あるものが扉の向こうであなたが来るのを待っている筈だ。そしてお互いを讃えハイタッチをしよう、そこから始まる何かが大切なのだ!