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第80話 『人生晴れ、時々不良少女 〜二枚のポラロイド写真〜』

1980年代の初頭は現在と違って、音楽の世界は洋楽が主流だった。アメリカやイギリスからきた人気グループが次々と来日した。僕がイギリスから帰ってきて日本に住みだした1984年以降も来日ラッシュが続き、武道館や東京ドームが出来る前の後楽園球場を使っての大きなコンサートが頻繁に行われていた。
幸いイギリスで仲良くしてもらっていたグループが来日すると、僕はかなりプライベートに迫っての撮影が可能だった。そうした中の一つにDURAN DURANというグループがいた。僕は彼らがイギリスでのデビュー直後から撮影していたので気心の知れた仲になった。

特にベースを担当していたジョン・テイラーとは気が合い、ハマースミス・オデオンなどのロンドンの定番の会場で、ステージと客席の間の緩衝地帯にある、フォトピットと呼ばれるカメラマン用のスペースに僕がいるのを見つけると、彼は必ず、ベースのシールドを伸ばして近付いて来てニコッと笑って挨拶を送ってくれた。
今思い出すと、僕に限らずステージ上から顔見知りのカメラマンを見つけると、ウインクや何らかのサインを送ってくれるミュージシャンがイギリスにはいたものだった。こうした彼らとの一体感が僕たちカメラマンには、もちろんとても嬉しかった。

ある時、一つのバンドのコンサートの前半の撮影をキャムデンタウンでして、ハマースミスまで急いで移動して、違うバンドのコンサートの後半を撮影するなどということがあった。この時、コンサート後半でも僕が演奏時間内に間に合ったことが余程嬉しかったのか、演奏中であっても、ミュージシャンの一人が僕に気づくと、彼はボーカルリストに顎をしゃくって僕が来たことを知らせ、ボーカリストがギターリストに、そしてギターリストがドラマーに僕のことを知らせて、そしてグループ全員が僕を笑顔で迎えてくれた、ということもあった。彼らのそうしたフレンドリーな人格が連帯感となりとても気持ちよかった。

さて、DURAN DURANである。最初、全員がまるでアニメに出てくるようなイギリス貴公子のような彼らは、デビュー当時、ルックスだけのアイドルグループの様に思われていたが、みるみる自分たち独自のサウンドを作り上げ、007の映画のテーマ曲を手掛けたり、また、ダイアナ妃が熱烈なファンで楽屋を訪問するなどの話題をさらい、一躍イギリスを代表するグループに成長した。
彼らの人気は日本にも瞬く間に飛び火し、東芝EMIレコードからまず12インチシングルが発売された。このレコードのジャケット写真は、僕が彼らの出身地であるバーミンガムのクラブの中で撮影したグループショットが使われた。
彼らは来日を果たし、多くの日本のファンたちと接することとなった。僕は日本に住み始めていたので、来日のたび、音楽雑誌の仕事で彼らの写真を撮影した。彼らの目の中には、ロンドンで撮っていた僕と、日本でこうして再会したことへの、懐かしさとも達成感ともとれる表情を、僕のレンズに向けてくれるのだった。

後楽園球場でのコンサートだったか、リハーサルが終わったかのタイミングで、僕は顔見知りになった日本人の高校生の女の子二人とジョンとの3人の写真をステージの裏手で撮ったことがある。彼女たちにすぐに渡せるようにポラロイドカメラで2枚撮った。
相変わらずのハンサム振りで微笑むジョンを真ん中に、顔を紅潮させ、正気を失った興奮の極みにいる二人の女子高生に向けてシャッターを切った。彼女たちに一枚づつこのポラを渡すと、彼女たちは悲鳴とも笑いともつかない嬌声を上げて去っていった。
直後、僕はその夜のコンサートの撮影の準備を始めた。

一年が過ぎた頃だったろうか、僕は何枚かのコピー紙が入った封筒を写真展の会場で受け取った。あの二人の高校生の日記帳の写しだった。

「私は高校2年生、進学校に通っている。周りのクラスメートは目指す大学の受験勉強で毎日夜中まで勉強している。国立や有名私立に現役で受かるのは当たり前の高校だ。だが私はどうしても皆んなと一緒のペースで受験の準備が出来ない。なにか頭の中がもやもやしている。ある日、私は何気なく本屋さんで立ち読みしていた音楽雑誌で見た新しいグループに強い衝撃を受けた。なんて素敵なんだろう!16歳の私の心に稲妻が落ちたようだった。その時DURAN DURANという名前を知った。私は彼らのレコードを買い、家で はそのレコードをかけっぱなしだった。親には、『うるさい、勉強しろ』、と言われたが、勉強をする気には一向になれなかった。成績がどんどん下がっていった。この高校に入学した時は、上から数えたらすぐに私の名前があったが、今は下から数えたほうが断然早い。

S子とは、あるコンサートで知り合った。見るからに不良だった。多分名も無い高校には半分も通ってないだろう。だけど私は、優等生しか相手にしない高校の先生や、一心不乱に勉強をしてはいるものの、一人でも落伍者がいたらほくそ笑むようなクラスメートより、S子の方が打ち解けられた。S子には何でも話せたし、S子も同じようなことを思っていたようだった。最初に会った時、私の高校の名前を言うと、S子は私に一瞬、こいつも別の世界の人間か!というような視線を向けたが、何度か偶然に会ううちに、私のことを友達と思ってくれるようになった。今から思えば、私たち二人は、心から信用出来る友達や場所、そして、もやもやとした気持ちのはけ口を必死で探していたように思う。社会に否応無しに組み込まれることへの不可解さ、S子は社会の誰からも相手にされない悲しさを持っていた。二人ともつぶされそうだった。

ある時、音楽雑誌の写真の片隅に小さく印刷されている名前が何故か目に入った。「ハービー・山口。」この写真を撮ったカメラマンの名前なんだろうか? そんなことまで印刷しなくたっていいのに、、。所詮誰が撮ろうが私や読者には関係ないんだから。

ある日の深夜、テレビを見ていた。最近は夜中でもテレビの放送を若者向けにやっている。オールナイト・フジ。私とさして歳の変わらない女子大生たちがミニスカートをはいて、テレビの中で精一杯のこびを売っている。折角大学生になったんだったら、こんな夜中にチャラチャラしないでもっと勉強したら!と思ってしまう。でも大学生がこうしたテレビに出るチャンスなんて一生にそう何度もないんだから、せいぜい若いうちに楽しみなよ!って気持ちもある。人って一体何のために生きてるの? 楽しむため? お金持ちになるため? S子も同じことを考えていた。自分は何をしたいのだろう、何が出来るのだろう?

その、オールナイト・フジにいつだったか、雑誌の中で名前を見たハービー・山口が出ていた。何でもロンドンでデビュー前のボーイ・ジョージと一緒に住んでいたとか、過激な匂い。名前からしてハーフかと思っていたら、純粋な日本人みたい。ロンドンじゃ、男と住んでいたからって、他に女性の住人もいたし、必ずしもゲイじゃないんだって!結構優しそうな顔をしていた。

それから一ヶ月後、あるコンサートにS子と行って奇跡的に最前列だった時、ステージと私たちの席の間の狭い隙間で写真を撮っているハービー・山口を見かけた。テレビと同じ顔をしていた。痩せていて案外小柄だった。この人が、歴代のイギリスのミュージシャンを撮っている人なのかと、カメラを構える彼の背中からロンドンを感じなくもない。あの、私の愛するジョン・テイラーも撮ってたんだと思うと同じ空間のすぐそばにいるのが不思議だ。すぐにでもジョンにまつわる色々なことを聞いてみたい。

コンサートが終わって、耳にまだ音がガンガン残っていて、お客さんの全員が余韻に浸っている時、私たちのすぐ前でカメラをバッグにしまっている彼に思い切って声をかけてみた。きっとコンサートの勢いが私をいつになく積極的にしていたんだろう。
「あの、ハービーさんですよね!?」
彼は意外にも「うん」と偉そうな態度じゃなくて、「はい」と言ってニコッとしたのには驚いた。

その彼の目には、30歳の半ばという年齢にも関わらず、どこか少年の様な純粋性が宿っていた。

「いつか DURAN DURANのジョンと一緒に写真撮って下さい!!あたし、本気なんです!」
こんな言葉が自然と出てしまった。きっとこの言葉が、その時の私の正直な心の叫びだったんだと思う。
「へー、君たちジョンのファンなんだ、いつかね!」
そう言って彼は楽屋の方の暗闇の中に消えていった。いつかねって言ったって本気である訳がない。

世の中の大人は感じ悪いか、そうじゃなくても上辺の愛想だけだ。本気で他人のことを考えてくれる人なんて所詮いないんだ、自分の甘えなんだろうけど、そう思うと人生って悲しくなる程はかない。クラスメートも社会の大人たちも、私と同じようなはかなさの中で生きているんだろうか。高学歴とか、一流企業とかを目指すのは、自分に飾りを付けて、このはかなさから抜け出そうとしているのだろうか?私たちは一生懸命勉強して、それで何になるの、生きる意味とか価値ってなあに?と頭の中はずっと空回りしている。

偶然は重なるものだ。その後幾度となく洋楽のコンサートに行くと彼を見かけた。ある時は2階席の遠くから見えただけだけど、ステージ前での彼の姿はすぐにわかった。ある時は、コンサートが終わった後の楽屋口で声をかけた。もう私たち二人の顔を憶えてくれたみたい。別に会話はないけど、それだけでも無視されるよりずっとまし。

信じられないことがおこった。あの日。DURAN DURANの後楽園球場のコンサートの日だった。S子と私は、バンドが球場に来る時間を見計らって、球場の車の入り口付近に溜まっていた。何十人、何百人という少女たちが、一目彼らの生の姿を見ようとひしめき合っていた。急に悲鳴のような叫び声が誰からともなく上がって、うねりの様に私たちは揺れた。全てを振り切るように数台の車が私たちの前を通り過ぎた。
車の窓は閉められていたので、中に誰が乗っているのか見ることは出来なかったが、1メートルの距離にジョンは確かにいた筈だった。それだけで近くの空気を吸っていただけで満足感は満たされた。

1時間が経っただろうか、リハーサルの音がかすかに聞こえてきた。私たちはその音で胸一杯のときめきに震えた。この音はジョンが弾いているのだ、と思うといても立ってもいられなかった。会場時間まで、リハーサルの音が少しでも大きく聞こえる場所へ移動した。そこにハービー・山口が、カメラバックと、大きなレンズが入っているのか、金属のケースを下げて通りかかった。その先に関係者の入り口があるのだろう。
「ハービーさん!頑張って下さい!!」
「あー 君たち。」そう言うとニコッとして、さっそうと入り口の中に消えた。さっそうとだった。その姿に彼の誇りさえ感じることができた。きっとハービーさんは、気の合う好きな人の写真を撮ることが大好きなんだと思った。

さらに一時間が過ぎただろうか、リハーサルの音が急に止まった。入場の列に並ぼうと動きだした時、彼が小走りに私たちを探しているように近づいてきた。首からひらひらとスタッフがよく持ってるパスを下げていた。
「今がチャンスだ、こっちに来て!」
「えっ!?」
彼は私たち二人の手を引っ張るように早足で関係者入り口に連れて行った。いつも私たちに厳しい顔つきの警備員たちが、敬礼のような仕草をして私たちを通してくれた。

瞬く間に大きく組まれたステージセットの後ろに着いた。何が始まるのか、私たちは混乱するばかりだった。
色々なものがごちゃごちゃと、所狭しと置かれていた。今でも、その時の驚きと興奮は、現実なのか夢の中だったのか見分けがつかない位、心の中で滲んでいる。
そこに、なんと、写真でしか見たことのないあのジョンが現れたのだ。まるで、開くことを禁じられた劇場のカーテンが、魔法のようにいとも簡単に開き、そこからジョンが姿を表したような信じられない光景だった。私服でニコニコしながら。まるで少女漫画の主役を何十倍も大きくした存在感と立ち振る舞いが私たちの目の前にいた。背丈は、私たちの目の高さに彼の胸があった。

「ハービー!君のガールフレンドって、この子たちのことかい??」と言うとジョンが腕を私たち二人の肩にまわした。
「さー、3人で並んで、ポラで撮るよ!」茶色い平ぺったいお弁当箱のようなカメラのふたを開けると丸いレンズが見えた。ジーっという音と共に、2枚の写真がカメラの隙間から出てきて地面に落ちた。
その2枚を大事そうにハービーさんは拾い上げると、1〜2分で画像が出てくるからと言って私とS子に渡してくれた。
何がこの瞬間に起こったのか、理解出来なかった。きっと私たちはジョンのまぼろしを見ていたんだろう。

球場の外までハービーさんは付いてきてくれた。さっきと同じように警備員が何人も敬礼し私たちに会釈をした。
外に出ると、彼は何事も無かったように、じゃあね、と言っていま来た道を戻っていった。
「ありがとう!」それを言うのが精一杯だった。冷静になんてなれる訳がない。
「君たちもジョンと一緒に輝いていたよ!」振り返った彼が私たちにそう言ってくれた。
こんなことが実際に起こるのだろうか!?
なんの役にも立たない私たちのことを真剣に思ってくれる人間が社会にいるのだろうか!?

入場の列に並ぼうと数歩も歩かないうちに、私たち二人は抱き合って、人の目もはばからずに大声を上げて泣いた。
ポラロイド写真の、まだ乾ききってない湿り気が指先から伝わってきたのと、あふれる涙の暖かさだけが現実の感覚だった。これまで空っぽだったこころの中に、生きるという芯が存在するのだと実感した。生まれて初めての感触だった。
まだ良く分からないけど生きていく価値って、もしかしたらあるのかも知れない。 いつか、私たちに出来ることが見つかったら、精一杯生きていくつもり。
ぼんやりとした混乱の中で、ただ確かなことは、私たちの人生は、ポラロイドカメラのシャッターが2回切られた、あの瞬間から始まったということだった。」