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第89話 『再びロンドンへ』

なんと7年振りのロンドンへの旅だった。前回に行ったのは2006年、その時はたった数日の滞在であったが何かなじめないものを感じた。10年以上住んでいた街だというのに。
その心当たりがあった。それは誰からかに言われたことだが、その頃のロンドンの繁華街にはヨーロッパの各国,特に旧東欧からの人々が多く、生粋のロンドン人はどこに行ってしまったのかという程、外国人で溢れかえっていたらしい。イギリス人がロンドンにいなかったわけではないが、街の空気感として、私の知っているロンドンの素顔はどこか虚ろだった。2006年の旅の印象は「ロンドンはつまらない街になってしまった」であった。

ところが2013年9月下旬から10月にかけてのロンドンへの旅はとても刺激的だった。これも人に聞いた話だが、2008年のロンドンオリンピックが、ロンドンを活性化した大きな要因だったらしい。

1973年に初めて住んだ街ブライトンに行ってみた。そして下宿していた通りに行った。ローマン・ロード36番地。私の第2の人生の出発点であった。 その家はそのまま残っていた。当時の家主は70歳を越えたリーチご夫妻だった。当然現在この家は人の手に渡っているだろうから、ベルを鳴らすことはなく、また、室内の工事をしているのかトラックが横付けされ作業員の気配が感じられた。
私はこの家の全貌の写真を正面から撮影し、しばらくそこに立ち尽くした。40年振りの場所である。一学生としてこの街に住み始めた23歳の私は、写真家になる大きな夢と大いなる心細さと、そして若さを持っていた。40年前イギリスに入国、そしてここに到着したのが9月23日であった。

偶然にも2013年の9月28日に再びここに来た。この季節のイギリスは、夏の気配を少しだけ残すものの、季節は急速に秋に向かって動いている。日々冷たくなる空気と、青い空に浮かぶ雲の形の変化に、人々は寂しさを募らせるのである。
3ヶ月住んだ異国での初めての家の前で、私は自分の歩んだ40年間を振り返ってみた。人に恥じない人生を送って来ただろうか。
私としては満足だった。少なくとも、抱いていた夢は叶い、写真家としてこの家に戻ってこられたのだから。

その足でセブンシスターズという、白い石灰質の50メートルの高さはあるであろう絶壁が海に面し何キロと続いている、実にダイナミックかつ優雅な風景を見せる景勝地を訪れた。私のイギリスで最も好きな風景の一つだった。
実はこのセブンシスターズに車で向かう直前に急な坂道があり、その右眼下に原始のままの見事な蛇行を見せる河があるのを40年前から気付いていた。車を走らせていると、ほんの20〜30秒でここを通り過ぎてしまうので、ほとんどの人がこの眺望に気付かないのだが、偶然に気付いたこの景色に私は押さえられない感動に心躍らせたものであった。しかし、車を止めてじっくりとこの景色と向かい合うチャンスは一度もなかった。

数ヶ月前、イギリスの誇る写真家、ビル・ブラントの写真集を買ったら、この蛇行する河を写したカットが載っていた。あの巨匠もこの蛇行する河の景色を見つけ、私と同じ様に心踊らされ、大型カメラを持って緑の草が茂る丘を歩き、一枚のシャッターを切ったと思うと、とても嬉しくも共感が持てた。
この旅で、私は40年越しのこの蛇行をじっくりと見つめる夢を叶えることが出来た。小さな駐車場が坂の下に出来ていた。今では少しは人々に知られる名所になったのだろうか。緑の草の中に咲く小さな白い花を見ながらゆるやかな丘を登ると、河の蛇行が見えるポイントに着いた。何と心休まる光景だろうか。この辺りの土壌は石灰質で、何万年とかかって、穏やかに流れる河の水が石灰を削り形成した蛇行だった。丘の上から見渡す限り、1〜2軒の農家が見えるだけで、ホテルも商業施設も全く建設されてない。原始のままの風景が広がっていた。何を開発し、何を原始のままに残していくのかは、その国の政治とセンスの結果である。

このイギリス南東部、そしてロンドンで私は自然の姿や街にカメラを向けた。この旅に持参したのは、アポズミクロン50ミリとライカM9モノクロームであった。カメラ雑誌からこの組み合わせでの作例撮影を依頼されていたからだった。フィルムカメラを持参しなかった初めての旅だった。

ロンドンではキングスロード、レスタースクエア、馴染みの場所を訪れた。時折雨が急に降って急に止んだ。人々は何事もなかったように濡れて、また乾いて歩いている。その時折の雨にくすむ街のしっとり感がロンドンそのものだった。湿度が東京に比べると随分と低い。だから雨に濡れてもじめじめしないで済むのだ。

M9はことのほか軽快でいつも自分の胸あたりにぶら下がげていた。ブティックに入り香水入りのガラスビンを幾つか買った。店の娘が可愛かったので撮影を頼んだらすぐに自分の判断で了承してくれた。
信号待ちしていたダブルデッカーの赤いバスの運転手にカメラを向けた。ニコニコ笑ってずっとこちらに視線を向けてくれていた。イタリアンのレストランに入った。ウエイターの若い男性二人であったが、客が少なくなると二人は店の表に出て、道行く女の子のファッションの品定めを楽しそうにしていた。パブに行くと金髪の女性と男の子がバーの中で働いていた。彼らに向かって何度かシャッターを切ると、初めは恥ずかしそうにしていた女の子は、徐々に本物の女優の様な存在感になっていった。
テムズ河の土手に出た。初老のアコーディオン弾きがいた。1ポンドのコインを缶の中に入れてからカメラを構えた。それを見て近くにいた人達の何人かが踊り始めた。するとアコーディオン弾きの横顔にさらなる笑顔が走った。

僕のカメラを見て70歳位の男性から声をかけられたことが2回あった。いづれも「日本からのフォトグラファーですか?」という会話だった。
別々の日に会った二人だが、二人ともプロの写真家だった。そして二人ともフィルムだけを使っていると言った。その内の一人は、日本の写真に興味があるギャラリーを紹介してくれた。彼らにカメラを向けると、純粋な目が印象的に輝いた。きっと彼らはその目が語る様に、長い人生の中で純粋な心を持って写真をやってきたんだろうということが感じとられた。

ある夜、日本レストランで布袋さんと待ち合わせた。「ロンドンに住んでいると自分が本来やりたかったことを再確認出来るというか、、。ある日、夜の森の中でね、車のライトにキラッと光ったキツネと目が合って、雪がうっすらと積もっていて、そうするともう嬉しくってさ、メロディーがどっと湧いてきたりさ!」
「ギタリズムの中のA Day in Autumnの世界ですよね!」
「そうそう、あの素直な自然さ」
自分も全く同感だった。本来自分がやりたかったことを見失わずに素直に生きて行けたら、どんなに素晴らしいことか。

翌日、オックスフォードストリートにあるデパートでスイス製のカラン・ダッシュという万年筆を買った。2万円程のものだったが、上品な銀色の光沢と六角形の形がスイスの貴金属を思わせた。
イギリス人の店員との会話が弾んだ。
「東京からロンドンに来ると自分自身を取り戻せるんですよ。そんなことをこのペンを使って日記に書きたくなりました。」
「同感です。旅は必要ですよね。私も毎日こうして店で働いてばかりいると、つい自分が分からなくなる時がありますが、旅に出ると本来の自分が見つかるんですよね!」
私と店員の彼は、会計をするのも忘れて10分以上お互いの人生について語り合ってしまった。

何気なく見かけた街の光景であったり、人々と交わした会話であるが、私には大いに刺激になるものばかりだった。社会の常識とかマニュアルを優先させてばかりの人生では、ついつい見失ってしまう
大切なものが目の前にあるように思えた。

7年振りのロンドンへの旅は大いなるものを私に与えてくれたのであった。