愛機について2
少しあいてしまいました。
まずはご存知の方は多いかと思いますが、カールツァイスについて触れたいと思います。
カールツァイスは泣く子も黙る世界のレンズブランドです。ツァイスが付くカメラとして一番有名なのはやはりハッセルブラッドですかね。
ハッセルブラッド500ELは、アポロ計画で月面まで行ったカメラとして知られており、そのレンズはカールツァイス社製です。
また本社で量産をしなくなった現在でもソニーと提携し、アルファの純正レンズをツァイス銘でリリースしています。
19世紀初頭より顕微鏡に端を発する、ツァイスの輝かしい歴史にも暗黒時代がありました。
それが東西冷戦期です。
元々ドイツ東部に位置するイエナJenaに創業より本拠地を構えていたツァイスは、第二次世界大戦ドイツ降伏直後にロシア勢の占領の危機に晒されてました。
連合軍はツァイスの技術をロシアから守るために、大半の技術者達を西へ連れ去り、西部のオーバーコッヘンOberkochenで操業を開始させました。
こうして一つの会社が分裂した状態で、それぞれが当時の情勢の中で継続されました。
たださすがに判別が必要な為、当時の製品にはブランドの後に地名が付いています。
東ドイツ→カールツァイス イエナ
西ドイツ→カールツァイス オプトン
(※オプトンはOPTik OberkocheNから)
その後冷戦の中で東西の技術開発競争は過熱し続けました。
東勢力はハッセルブラッドやライカのような金字塔になるカメラを欲していました。
カールツァイスイエナがレンズを供給した中判カメラ、ペンタコンシックスPentacon Sixはそんな中生まれたカメラです。
ペンタコンシックス – Google 検索
ペンタコンシックスはハッセルブラッドと同様に一眼レフ6×6のフォーマットですが、ハッセルの様なボックスタイプではなく、いわゆる35mmカメラを大きくした様な外観で、当時非常に攻めたカメラでした。
ペンタコンシックスに用意されたレンズは50mmMCフレクトゴン、 80mmMCビオメター、120mm/180mmMCゾナーなどがありました。ゾナーは東西共通の銘柄ですが、ビオメターとフレクトゴンはイエナオリジナルのレンズとして認知されています。
時代背景上当然ですが、
東のビオメターは西のプラナーを、
東のフレクトゴンは西のディスタゴンを、
それぞれ完全に意識して作られています。
ただ、そこはやはり東のもの、まずデザインが当時でノスタルジック(要はダサいw)、さらに製品不良の率も高かったらしく、広角のフレクトゴンに至ってはロットによっては放射線を含有している(※微弱・コレクターズアイテム)ことが確認されています。
そして正にこれが私の愛機エギザクタ66の前身になります。
しかし遂に、この皮肉な競争も終焉を迎える時が来ました。
1989年 ベルリンの壁崩壊です。
次回はエギザクタ66の誕生の経緯です。
年明けになるかと思いますので、皆様よいお年を。