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第97話 『愛あるもの』

3月の下旬、ある単行本の表紙用のカットを撮影するために川口へ行った。この本の著者佐藤雅彦さんは51歳で認知症になった。しかし、知恵と工夫で幸せに暮らせるのではないか、という希望のメッセージがこの本「認知症の私からあなたへ」に込められている。その佐藤さんのポートレイトを撮るのである。大月書店の編集者である西さんと川口駅で待ち合わせた。佐藤さんのお住まいにお伺いした後、近くの植物園に場所を移し撮影を続けた。佐藤さんがよく散歩で訪れるコースだという。この日はよく晴れていて、午後の強い日差しが若葉や色とりどりに咲いた花々に注がれていた。小一時間後、私たち3名は植物園前のバス停から川口駅行きのバスに乗った。傾いた日差しがバスの中にも差し込んでいた。バスが交差点を曲がると、窓から差し込む日差しの角度が変わり、座席の列の影が面白い幾何学模様を床に作り、また、日差しがカメラに直接当たると、ファインダーに強い逆光のフレアを作った。
車内は空いていて、我々3人の他に乗客は2~3人だけだった。忙しい夕方になるにはまだ間がある、のんびりとした、昼と夕方の谷間に存在する空白の時間帯だった。
あるバス停で、2人の小さな女の子と母親の3人が乗って来て前方の席に座った。幼稚園に通う年頃か、それよりも小さいだろうか。幾つかのバス停を過ぎたところで、お姉ちゃんが降りることを知らせるブザーを慣れた手つきで押した。
「はい、次止まります!」と、運転手さんの声が応答した。
そのお姉ちゃんの行動を見て妹が、「私がブザーを押したかったのに!!」とぐずり始めたのである。その姉妹と母とのやりとりが微笑ましく、なだめる母親とぐずる妹の声が後部座席に座っていた僕にも、ぼんやりと伝わってきた。
たまに見かける日常の光景だった。

すると運転手さんがこの親子の会話にマイクを通して言葉を放った。
「ブザーをもう一回鳴らしていいよ!何度か鳴らしたっていいよ、次は止まるからね!」
意外な言葉を運転手さんからもらった妹は、嬉しそうに一回ブザーを鳴らした。
「はい、次止まりますよ!」と運転手さんは応えた。

バスの運転手さんにすれば、乗客全員がイライラしている朝晩のラッシュ時ではないタイミングだからと判断しての特例なのだろう。

このやりとりが、とても暖かい空気を車内に作り出したのである。
この親子は次のバス停で運転手さんにお礼を言って降りて行った。
「はい、ご苦労様でした。またこのバスに乗ってね!」運転手さんの優しい一言が親子の後ろ姿を追いかけた。女の子にしてみれば、とても良いことがあった1日のハイライトだったに違いない。

それから幾つか先の終点川口駅で我々はそのバスを降りた。他に乗っていた2~3人の乗客は淡々と無言でバスを降りていったのであるが、私は運転手さんの横を通り抜ける時に自分の感想を伝えた。
「さっきの親子との会話は素晴らしかったですね。誰もあなたに何も言わないけれど、後ろで聞いていてすごく嬉しくなりましたよ!あの子供達は嬉しかったんじゃないですか!!」

運転手さんは、想像よりもさらに平和でふくよかな表情を持つ方だった。この笑顔を見ていると、さっきの出来事が納得出来たのである。

その笑顔に向けて「いやー、感動でしたね。済みません、一枚写真を撮らせて下さいますか?」と私はカメラを向けた。

「いえ、そんな、ありがとうございます。私なんかの写真を!もったいないです!」

この運転手さんは一貫して謙虚だった。彼の行為は社会の日常の中に埋もれ、誰にも気がつかれないまま咲いている、一輪の花の様な印象であった。

世の中の常識では、バスを安全に運転運行するだけで精一杯で、子供のわがままに付き合う義務も余裕もないのが普通であろう。だがこの方は違った。限りない愛を乗客に持っているのだ。愛ある人間なのである。こうした人物が世の中にもっといれば、どんなに良いだろうと願うのは僕だけではないはずだ。

そんなことがあって、時は過ぎ5月、歩いても行ける代官山のヒルサイドフォーラムで写真展「マグナム・ファースト」が開かれていた。
代官山のこの一帯は洒落たお店やギャラリーがあり、買い物にも見物にも良い地域だと思う。これからの夏、ここフォーラムの一角には強い太陽の光を遮ってくれる大きな樹木があって、その日陰が心地良い。

大きく目立つ看板とか呼び込みの要素がない。見過ごしてしまいそうにイベントが開催されているところが代官山らしい。そういえばヨーロッパのビルの看板は実に謙虚で、大きな会社の所在地なのに、小さなゴールドのプレートが石造りの建物に小さく埋め込まれているだけなのに似ている。
この写真展は1955年、オーストリアで開催されたマグナムの8名の写真家によるマグナム初の写真展で、そのものズバリの現物プリントを、当時のままに展示した実にユニークな写真展だ。その時代の写真は、出版物に印刷されて人々の元へ届けられるのが一般的だった。つまり写真の最終形態は雑誌などの印刷物で、写真展という観念があまりなかった時代だった。そうした時代にも関わらず、この写真展の開催にあたっては参加写真家が作品をセレクト、構成したということだ。当時の展示方法は額装するのではなく、薄い木製の仮設の壁を設置し、その壁にダイレクトに印画紙を接着するという方法だった。その写真展の現物はその後どこに保管されているのかも不明であったが、開催から50年後の2006年に、インスブルックのフランス文化会館の地下倉庫で、木箱に入った状態で発見された。今回その写真展が「マグナム・ファースト」として蘇り、世界11都市を巡回した後に、ここ代官山に来たのである。

この写真展の日本での開催に尽力された写真家の渡邊英昭さんや、マグナム東京支局の小川潤子さんのギャラリートークには興味深いエピソードが幾つもあった。その一つが1948年にブレッソンによって撮影された、インドのガンジーの暗殺前後の写真群についてだ。
ガンジーの素顔が最初の数枚に写っている。その数枚に続き、暗殺の一報を伝えるネール首相の姿、悲しみに暮れ我を失い動揺する市民の姿が捉えられている。この事件が起こった前後、ライフ誌が派遣した女性報道写真家マーガレット・バーク・ホワイトもガンジーを撮影しているのだが、暗殺後の市民の写真は残っていない。それは彼女の撮影の仕方が無遠慮だったために市民の怒りを買い、撮影は阻止され、フィルムはカメラから抜かれてしまったのだという。対しブレッソンはガンジーの日常のスナップを撮影し、また暗殺直後は周囲の空気を乱さない撮影であったのだろう、トラブルに巻き込まれることはなく、この写真群が現存しているのだという。

他にはロバート・キャパによる子供の写真や、ワーナー・ビショップの名作、また、ウイーンの子供たちの生き生きとした姿を捉えた作品、エルンスト・ハースによる映画「ピラミッド」のスティール写真が並んでいた。こうした写真が撮影された1950年前後は、第2次世界大戦が終結して数年が経ち、市民がやっと平和の息吹や希望を感じ始めた時代なのである。ここにある写真は全て、マグナムの理想である「写真によるヒューマニズム」に徹し、日常の中の人々に愛ある眼差しを向けているのである。ここに現代の我々が見失ってはならない基本があるように思われた。自らを振り返り、改めて表現者としての視点を提示されたようで、心に深く染み入るものがあった。
期間中何度も会場を訪れたが、若い人々も沢山見られ、懸命に作品を覗き込む彼らの姿が頼もしく思えた。

川口のバスの運転手さん、そして「マグナム・ファースト展」を通し、「愛あるもの」この一言を忘れてはならないと誓ったのだった。