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第12話 『 一隅を照らす 』

 何のために写真を撮るのだろう、という疑問に対する答えをいつも探していた。

僕の生れ育った東京の池上にある、水書房という出版社が発行している「ナーム」という月刊誌がいつものように送られてきた。かつてこの誌に僕もエッセイを連載させていただいていた時期があり、その御縁で連載が終わっても御丁寧に毎月送って下さっているのだ。

 その巻頭に松原泰道さんとおっしゃる今年百才を迎えられた高名な禅僧の言葉が毎月載っていて、僕は二ページに渡るその文章が好きで毎月読んでは心を動かされている。先々月、「一隅を照らす」という文章が載った。
 その中で松原さんは、「ろうそくは燃え尽きるまで暗闇を照らし続け、人のために役立っている」という詩を引用され、人間も社会の片隅にいたとしても照り輝いて、他の人や社会のために尽くすのが正しい道というものだ。自己を完全に燃焼させ、一隅を、周囲を照らすのが仏道だということを説明されていた。
 僕はこの文章を読んで大いに心に迫るものを感じた。正に写真の目的とは、人の心の一隅を照らすことではないだろうか。僕が撮る写真によって、もし誰かの心が明るくなり、社会までもが平和になったらどんなに意義深いことだろうか。それは僕が写真を始めた中学二年生の時、おぼろげに願っていたことだった。

アサヒカメラの5月号に「静かなシャッター」と題した写真を何ページかに載せていただいた。最近ずっと、僕はこのタイトルで子供から若者、そして御年輩に至る方々の、街で見かけるポジティブな一瞬を撮っている。静かなシャッターとは勿論ライカを意味しているが、人々が綿々と日常を生きているという感触も含んでいる。この号が出版されると何人もの方々から声が届いた。「こんな写真が撮りたかったんだと直感した。」、「なんとも爽やかな表情に、また写真を撮ろうという気になった。」。そして池上にある養源寺の前田さんとおっしゃるご住職も「なにもかもきりきりしてきていますから、こういう写真はいよいよ貴重です。」と書かれた葉書を送って下さった。

「一隅を照らす」、とても素敵な言葉だ。そんな写真を求め、これからも静かなシャッターを押し続けたいと僕は改めて決意するのだった。