第23話 『 撮りたい人 』
先日の午後、次の仕事までまだ間があったので、写真集を見に行こうと青山のアートブックを扱う書店までバイクを飛ばした。この日はラジオの収録が2件という仕事だったが、いつもの習慣で携行する小さいカメラバッグには50ミリ付きのライカM3と露出計、フィルムが1本入っていた。なにか新しい素敵な写真集があったら買うつもりで地下2階の写真集売場に下りて行った。
本棚を見ながら店内を一周していると新しいお客さんが入ってきた。こうした洒落た雰囲気の店に良く似合うとても素敵な若い女の子だった。写真を撮りたいな、と直感した。しかし、店内は静まり返り、真剣に本を選んでいる彼女に声を掛けづらい空気感だった。10分程して僕は何も買わずに店を出た。店の前にはベンチが置かれ、誰でも座れるようになっていたので僕はそのベンチに腰掛け、道行く人達を眺めていた。
15分もしただろうか、さっきの彼女が店から出てきた。物音ひとつ立てない静かなたち振る舞いだった。手には今ここで買ったのだろう、書籍が1冊入った透明な、この店のロゴが印刷されたビニール袋を持っていた。
僕は彼女がドアの外に出てくるタイミングに合わせて立ち上がった。そして、彼女に声を掛けた。「あの…。ひとつお願いがあるんですが、とても素敵なので写真を撮らせていただけませんか?ほんの何枚かで良いんですが…。」
その言葉に彼女は僕の顔を見てすぐに反応し、すこしニコッと笑顔を浮かべて「いいですよ。」と静かに答えてくれた。
「えっ!よろしいですか!? ありがとうございます。すぐに終わりますから…。」 そう言って僕はライカを取り出し、店のウインドーの前で数枚のシャッターを切った。その間いくつかの会話がかわされた。「あなた様はとっても素適な方ですけどモデルさんでいらっしゃいますか?」「ええ、そうです…。」「あーやっぱり、それじゃあ事務所とかと問題になりますか?」「いえ、大丈夫ですよ…。」「いつもはこういう時お断りするんですけど、いま、すごく自然に声を掛けていただいて、とっても自然な気持になったので…。それと、良い写真を撮って頂けそうだと思ったもので…。」「えっ、本当ですか?だとしたらすごく嬉しいですね…。」
そして僕は数枚撮った後、彼女に一つの提案をした。
「あの、さっきの地下の写真集売り場に僕の作品集が売られているんですが、もしお時間がありましたらもう一度戻ってお見せしたいんですが。」彼女は「へー そうなんですか、是非拝見したいです。」と言って僕の後に同行してくれた。
本棚にある僕のロンドンの写真集を取り出し、ページをパラパラとめくって彼女に手早く見せた。ページをのぞきこむや、「あー 素敵な写真!」と素直な感想を述べてくれた。僕は少し安心し、二人は階段を上がり地上に出た。さっき僕が座っていたベンチに座ってもらい数回シャッターをきった。そして深々と頭を下げ、彼女に何度もお礼を言って別れた。彼女は笑顔で去って行った。僕はすぐ近くの歩道に置いたバイクに戻りヘルメットを手にしながら、しばし彼女の後ろ姿を追っていた。30メートル程先に曲がり角があって、彼女がその角に差し掛かったところでこちらを振り返った。僕は再び深く頭を下げ、感謝の気持ちを精一杯表した。それを見た彼女が大きく僕に手を振った。僕も手を振った。そして彼女は角のむこうへ消えて行った。思わぬ彼女のフレンドリーな態度に僕はとても幸せな気分を味わっていた。
小一時間後、僕は六本木ヒルズにあるFMラジオ局のスタジオにいた。番組のゲストに呼ばれていたのだ。収録の中でつい今しがたのモデルさんとの話をした。パーソナリティーの小山薫堂さんがこの話をすごく感動して聴いてくれた。ある日の午後の写真にまつわる素敵な出来事だった。