第50話 『 メッセージ 』
写真展を開く場合、写真がすべてを語るから、特になのもコメントとか説明文は不要だろうと思うが、写真だけでは語れない、文章に頼らざるを得ないことがいくつかあるものだ。だが、いくら文章を掲げる場所があるから、といって長すぎる文章や難解な言葉は使ってはいけないと僕は思っている。
単純な、解り易い文章、言葉に勝るものはない。
以下は先月、このコラムで話題にした川崎での写真展で、展示作品の合間を縫って掲げた文章だ。
1.
中学2年生の時、友人に誘われて写真部に入った。いま思えばそれが写真家としての出発だった。その頃、おぼろげに、人の写真が撮りたいという願望はすでにあったと記憶している。出来ることなら、僕の写真で、人々をもっと優しくしたいと願っていた。それは病気を患い、将来の夢も希望もなく、むしろ孤独と絶望の中に生きていた僕の、唯一の望みだった。あれから40年以上が過ぎ、僕はいまだ写真を続けている。一枚でも多くシャッターを切ることを最優先して生きてきた。10代後半になり病気から立ち直った。そしてロンドンで暮らした。そうやってたどり着いた現在、何気ない日常の光景が、この上なく素敵に見え、いとおしく思える時が多くある。街を歩き、このいとおしい光景に出くわすと、何も考える間もなく、「一枚写真を撮っていいですか?」と声をかけている自分がいる。中学時代、おぼろげだった人の写真を撮りたいという願望は、いまやっと叶えられようとしている。
2.
仕事柄、アーティストにカメラを向けることが多い。
作品を創っている人、舞台の上に出る人達はエネルギッシュだ。僕は彼等からいつも生きる力をもらっている。たとえば風邪気味で撮影に望んでも、撮影後にはすごく元気になっている。
僕が中学2年で写真部に入る前、僕はブラスバンドでフルートを受け持っていた。はっきり言って僕に音楽を演奏する才能はなかった。だからアーティストという、人に影響や刺激を与える人達に憧れているのだと思う。彼等がスターの顔でなく、一人の人間としての素の表情を見せてくれた時、僕はすごく嬉しい。そこには同じ人間としての共感が生まれている。そんな彼等にいつも感謝している。
3.
有名なアーティストにカメラを向ける時、いつも独特の高揚感を持つ。だが市井の人々の一瞬の表情にも、それぞれの人生が宿っていて見飽きない。なんと街はドラマティックなことだろうか。
しかし、すべてを撮れるわけではない。カメラを構える前に素敵な光景が消えてしまったり、また、被写体になって欲しい人と折り合いがつかない時がある。こんな時は落胆だ。そしてまた撮れる時が来て喜びを感じる。落胆と喜び、この繰り返しが写真家の毎日だ。
だから、写真を撮らせて下さった人たちに、感謝の気持ちで一杯だ。
4.
続けることが大切だ。撮れなかったといって諦めてはいけない。やっと撮れて、偶然撮れて、その一枚一枚の積み重ねの上に写真家は存在している。時間がかかっても良いじゃないか。
5.
人を撮る時、その人を尊重することが大切だ。決して見下げてはならない。相手が女性なら、シャッターを押す時、一瞬の恋をすれば良い。相手が男性なら、憧れの気持ちを持てば良いのだ。
6.
こうした写真を撮る理由は、人が人を好きになればと願う気持ちがあるからだ。人が人をもっと好きになったら世の中はきっと優しくなるのに、と思っている。
7.
日本で就職もせずに、新しい自分を見つけようと訪れたのがロンドンだった。1973年、23才だった。この街には僕の想い描いた憧れの被写体がいたるところに転がっていた。広い公園の風景、子供達の透明な瞳、新しい音楽やファッションを生み出す若者、過ぎた日々を振り返る老人。そのどれもが、個性溢れる表情を見せていた。
8.
劇団に入っての舞台出演、ヨーロッパ大陸や北欧への旅、ミュージシャンとの交流、イギリス人写真家達との共同生活、淡い恋…。異邦人としての寂しさを常に背負いながらも、日本では感じられなかった程の生きる喜びをやっと手に入れることが出来た。 年月が流れる中、いつの日にか、一人前の写真家になることをずっと夢見ていた。ある日、地下鉄のホームで、パンクロックバンド、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーを見かけた。恐る恐る、「写真を撮ってもいいですか?」と訪ねる僕に、「撮りたいものはすべて撮るんだ。それがパンクなんだ」と彼は答え、カメラの前に立ち止まってくれた。その日以来、僕の写真への情熱は一層高まっていった。
9.
日本を発って10年弱が過ぎ、僕は初めて東京に戻った。箸にも棒にもかからなかった自分が人並みになるのにこれだけの時間が必要だった。東京はまるで違う街に見えた。東京も変っていたが、それ以上に僕が変ったためだった。なんとか生きていけそうな気がした。
こうして文章を改めて読むと、自分のことが客観的に俯瞰して見ることが出来て興味深い。
3年程前のこと、茨城県の高校で講演会をしたことがあった。この講演は写真部の部員向けではなく、700名近い全校生徒に向けたものだった。
この講演で強調したのが、次の様なことだ。
「この中に成績優秀な生徒もいるし、勉強の苦手な生徒もいる。優秀な生徒は是非このまま勉強を一生懸命続けて欲しい。この努力はきっと良いことに将来つながるだろう。問題は勉強が苦手な生徒だ。いま、勉強が苦手でも、君たちは若い。人生を修正するチャンスはいくらでもある。僕が写真に巡り合った様に、将来一生懸命になれることに巡り合うかも知れない。その時頑張れば良いのだ。すべての科目で満点を取らなくたって、一生のうちに一科目でも、得意なものを探せばよいじゃないか、、。」
劣等生だった僕の真さに本音を語った講演だった。写真と出会えたからこそ、僕はここまで生きてこられたのだ、ということを我ながらに実感した。
自分が一生懸命になれることを探すこと。そして、小さな一歩一歩を重ねること。ここに良い人生の送り方の構図が見て取れるように思うのだ。