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第04話 『 大安 』

11月のとある大安の日、買うつもりはなかったが銀座のとあるカメラ店に入ったら、ウィンドーの中のライカM3に目が止まった。そこでやめておけばよかったが、「あっ先生!!ようこそいらっしゃいました。ゆっくりしていってください。精一杯、勉強させていただきます。」という店員の満面の笑顔に、つい「これ見せていただけますか」と、目の前のM3を指差してしまったのだ。他にも沢山M3が並んでいたが、最初に目に付いたM3が、結局いちばん手になじんだ。自分では今日は買うつもりで店に入ったわけではないのに、30分後、そのM3は大事そうに僕のカメラバッグにしまわれていた。またやってしまった、という少しの反省の気持ちと、いや僕はカメラマンなのだから、気に入ったカメラで何枚もの作品を気持ちよく写せるのだったら安いものさ、という妙に納得した気持ちが入り乱れる中、僕はバイクにまたがり、その店を後にした。

そこで素直に家へ向かえばよかったものを、なんともう一軒のカメラ店にバイクを横づけしてしまったのである。店長さんが、やはり入って来た僕をいち早く見つけ、「やぁー、ハービーちゃん、お久しぶりー」と顔をくずしたのである。いや参ったな、みんな愛想の良いこと。と思いつつ、ライカのウィンドーの前に立った。そこで目に飛び込んで来たのが、ズミルックス50ミリ。フィルター、フード付きで白鏡胴が上品な光を反射している。価格は市場価格の約半値の委託品だ。今日は買うつもりじゃなかったのに、つい「あの、これ試し撮りしても良いですか?」と言ってしまったのである。僕はこれまで2度、これと同じタイプのレンズを買って2度失敗している。2本とも開放絞りで撮るとかなり甘く、使いものにならなかった。その2本とも買うときに試し撮りをしていなかったのだ。買うつもりではないのに、ウィンドーから出されたズミルックスを手に取ると、いま買ったばかりのM3にフィルムを詰め、レンズを装着して、試し撮りさせてもらった。店内の明るさで、絞りF1.4の開放で1/125秒、最短撮影距離で数枚いろいろなものを撮った。すぐに家に帰って撮影コマだけを切り現した。8×10のプリントに焼き付けると、滑らかでシャープさが程良いのである。「ほー!!」と浮かび上がってきた画像を見て声を上げた。今まで使ったズミルックスより格段と良いかも知れない・・・。なんと僕は、バイクでものの30分、銀座まで引き返し、そのズミルックスを買ってしまったのである。ズミルックス付きのM3がずしりと重くカメラバッグの中に収まり、店を出た。

またやってしまった。衝動買いを、しかも1日に2度も。いや僕はカメラマンなのだから、これで気持ちよく作品が撮れるのなら・・・。それにしても、なんと充実した気持ちなのだろう。

その晩、ライブハウスでのコンサートを撮る仕事があった。コンサートはデジカメを使うが、僕は必ずライカ一台を一緒に持っていってお客さんを撮ることにしている。日も沈んだ頃、下北沢のライブハウスの前の植え込みに、おあつらえむきのカップルが僕を待っていたかの様に腰をおろしているではないか。さっそくズミルックス付きのM3を取り出し、街の明かりに浮かび上がる彼等に迫った。

買ったその日の、しかもたった数時間後にこんな素敵な被写体に恵まれるとは。これはひょっとしたら相性がいいのかも知れない。11月のとある大安吉日、ライカにまつわる大きな声では語れない、しかし至福の1日だった。