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第14話 『 気 』

9月は写真展づいていて、僕は東京で同時に5箇所で写真展を開いた。
デンマーク、イギリスで撮った近作から、人気ロックバンドの写真を集めたものまでジャンルは様々だった。近作は純粋に僕の作品を見に来て下さる方で賑わうが、ロックバンドの写真展にはそのバンドのファンの人たちで賑わう。そのファンの方々の中に、撮る写真家によってミュージシャンの表情が写真の上で微妙に違うことに気づいてくれる場合がある。それに気づいた人達が僕の他の写真展にも来てくれる。5箇所の会場で一番足繁く通ったのは新作を展示したギャラリー冬青だった。会場には大きなテーブルと何脚かの椅子が用意されていて自由に使える。僕が行くと大抵何人かが所在無げに座っていて、僕の写真集をみたり写真展の感想をノートに書いていたりする。僕はとりあえずそこにいる一人一人のお名前を伺って話の輪を作ることから始める。次第に雰囲気がなごみ話が弾んでくる。

ある日、ほとんどの人がポートフォリオを携さえていた。初心者もプロを目指す方もいた。総てのポートフォリオは僕の視点から見ると何かが共通して欠けていた。良く考えると「気」が不足しているのだ。写真家が写真を撮る時には「気」が求められる。写真家の発する「気」が被写体にオーラとして伝わり、それを受けた被写体が何かを返してくれる。このことによって、その人がその時にしか撮れない写真が撮れるのだ。「気」が弱いと被写体は、どういう気持ちでカメラに向かって良いか解らず中途半端な写真になってしまう。
「良い写真を撮るぞ、ここに居合わせた事に感謝しよう。」 こうした気持ちが「気」として被写体に乗り移るのだ。「写真なんて所詮見えるものしか写らない」、という考え方は自然の節理に合っている。しかし、写真家の多くはそれで満足していない。

なんとか自分の心、被写体の心を写したいと思っているはずだ。そのために「気」が必要なのだ。ロックバンドを撮る時にもこの「気」があれば、かっこいい写真を撮ってもらおうとミュージシャン達は感じてくれるものだ。スナップにしても風景にしても「気」は大切だ。デジカメを使い普通に撮ればとりあえず普通に撮れてしまう時代、撮影者がどんな「気」を持ち放つかで作風も、作品の良し悪しも決まってくるのではないだろうか。