第67話 『人として』
未曾有の大災害となった東日本大震災。連日のテレビ報道でこの災害の大きさを知るにつけ、我々日本の国民は失意のどん底に突き落とされた。
肉親を亡くした人々の悲しみと失望はいかなるものだろうか。
人間が寿命をまっとうした上での最期ならあきらめもつくだろうが、天災、病気、
戦争、事故、事件で命を落とすのは何とも残酷だ。
天災という誰をも恨むことの出来ない凶暴な力の前に、人間はただ無力である。
中国の新聞が、避難所に生活する人々の道徳観を見て評したそうだ。「こうした状況下でも、強奪が起こることもなく、また、水や食料の配給を前にして、我れ先に奪い合うこともなく、無言で列を作って順番を守っている。中国は経済で日本を抜いたが、人間性の高さという観点から見れば、中国は日本人に遠く及ばない。」
この中国の記事が示す様に、日本人は立派なのである。この極限状態に置かれた被災者の方々の理性ある人間像が、世界に対し、日本人の底力を見せているのである。 何十という海外の国からの救援隊の申し入れ、そうした行動を見るにつけ、世界の
人間とは、世界の国家とは、本来優しいものなのではないか、と考えさせられる。
では何故戦争は起きるのか。何故北方領土は戻ってこないのか。
ここ数年の間で起こった、大きな天災を前に各国は助け合った。そうした事例を前に、為政者は地球人の安全を守り、幸せを築くために、もはや一国家のエゴを捨て、地球が一体となる様な連帯が出来ないものなのだろうか。
1945年の敗戦と共に、全てを無くした日本人が、這い上がった様に、この震災からも再び這い上がらなくてはいけない。
僕のように、東京でテレビを見るしか今のところ出来ない者にとって、すべきことは、義援金を送ることと節電に協力することだろう。
そして、被災者の皆様の復活をこころから願うことだ。
いくつかのギャラリーが、多くの写真家から作品を集め始めた。この写真を格安で
販売し、全額を寄付するという動きに是非参加させて頂きたいと願っている。
海外に目を向ければ、難民キャンプで困っている人たちがいて、また、アフリカの国では、我々の少しの貢献で薬が買え、助かる赤ちゃんも数多くいるのだ。
地球上には、常に助けを求めている人たちがどこかにいる。かつて、ダイアナ妃が
叫んでいた様に、この世界には親の愛を知らない子供たちが沢山いる。
いま我々が出来る行為で、誰かが救われるなら、その労を我々は決して惜しむまい。皆同じ人間なのだから。そして、我々は一人ぽっちじゃないことを信じるために、、。