out
 

TOPページ > ハービー・山口の「雲の上はいつも青空」 > 第72話 『一歩踏み出す』

第72話 『一歩踏み出す』

先日、FMの番組にゲスト出演した。女優さんがパーソナリティーをなさっている、とてもお洒落な番組だった。
収録中、この人気女優さんは、可愛らしい顔をほころばせながら確実に僕の写真の感想を述べてくれた。
やはり芸能界で活躍されている方の多くが、ただ可愛いとかイケメンだというだけでなく、その方独自の感性というものを持っているものだ。
そうした彼らの独自の感性と触れ合うと、ゲスト出演した僕にとっても、いろいろな刺激をもらうことが出来て、とても勉強になる出演となって嬉しい。
ただ、中には、差し障りのないことだけを聞いて、時間内に収めようとするだけの全く刺激のない出演も、時にはある。
パーソナリティーや番組を制作しているスタッフの資質や番組に賭ける熱心さが、大いに影響するのだ。
パーソナリティーにとって大切なのは、たとえ一言でも、自分の心のこもった言葉や感想をゲストに述べることだ。パーソナリティーのそうした、生きた言葉をゲストはどこかで期待しているものだ。その生きた言葉がゲストの心に響いた時、そこには、パーソナリティーとゲストの唯一無二の会話が成立することになる。
僕もかつて何度となく、ラジオのパーソナリティーを務めさせて頂いてきた。15年程前「CROSSHING POINT」という毎回ミュージシャンをゲストに迎える番組をやらせて頂いていた。ある週、イギリスから来日中のベテランの人気シンガーがいらした。話題は音楽から彼の趣味のテニスのことまで広がった。彼の様な国際的な有名人になると、趣味のテニスのお相手が、ウインブルドンの優勝選手だったりする。ついそうしたビッグネームが話の中に平然と出てくるので、驚いたり感心したりするうち、話の行く先は収拾がつかなくなったが、後は編集に任せることにし、結果的にはとても楽しい会話になった。
別れ際、イギリス人の高齢なマネージャーが僕に「今までで一番素晴らしいインタビューだった!ありがとう」とそっと僕に微笑んで握手を求めた。その翌週、沖縄の雄、喜納晶吉さんをゲストにお呼びした。1時間の収録後、「あー、久しぶりにこんなに話したなー!」と満足げに帰っていかれた。
こうした、ゲストやマネージャーの笑顔を見られるのは、作り手として最高に幸せな瞬間だった。
そうするための秘訣は簡単だ。自分の全人格を賭けて、ゲストの心に寄り添うことである。
ゲストはそこに、安心と心地良さを見つけて、また、自分の新しい一面を見つけたことで、マイクに向かって更なる言葉を紡いで下さるのだ。

僕がパーソナリティーの時、一つこだわっていることがあった。それはスタジオをゲストが入る前に掃除しておくことだった。
あるFM局で僕が週一の番組を持っていた時、ゲストや制作会社のスタッフが来る30分前には、スタジオに行って掃除を始めた。
それは、僕が他局のゲストに呼ばれた時に気が付いたことによるものだ。多くのスタジオのテーブルの上には、前のゲストが残していったのであろう、飲みかけのペットボトルや、紙コップ、そして、毎日このスタジオを使うレギュラー出演者が置きっぱなしにしている、辞書やメモ、筆記用具などが散乱しているのである。
はっきり言って、その局やスタッフのだらしなさが丸見えであった。
その局では、散らかったスタジオは日常化しているから、番組スタッフは慣れっこになっていて、出演者に不快な思いをさせていることに気付かないのだ。
そして、僕がゲストに呼ばれた経験からすると、ディレクターのゲストに対する言葉尻から、全国ネットの人気番組をやっている場合には、その傲慢さ、また、番組によってはローカルの謙虚さ、そして、どの程度の熱意で僕をゲストとして呼んでいるのか、ということも、ゲストはたちまち看破してしまうものなのだ。
ある日、僕が週一回使うスタジオを掃除しているところに、この局の看板パーソナリティーのJさんが、入って来て尋ねた。
「ハービーさん!一人で何やっているんですか??」
「ゲストが来る前にちょっとスタジオの掃除をと思いまして、、。」
すると、Jさんは、スタジオの外にある編集デスクが並んでいる広い部屋の方に向かって声を荒げ、顔を真っ赤にして「ハービーさんにこんなことをさせて、◯◯の奴らはどこにいるんだ!!」と制作会社の名前を大声で叫んだのである。
スタジオの清潔さも散らかりも、ゲストへの態度も、ゲストに観察されていることをつい忘れ、ゲストの心情を思いやらなくなってしまうことは、その番組にとって甚だマイナスな要因だ。
そうすると、ラジオ番組でゲストを迎えることと、我々写真家が、撮影のために本日の被写体をカメラの前に迎えるのとは、全く同じ礼儀や心持ちが必要とされていることに気が付く。
写真のスタジオでは助手達が、その前に撮影したカメラマンやモデルの痕跡が一つたりとも残らない様に、白い床や壁についた靴跡や汚れを丹念に濡れ雑巾で拭き取るか、白いペンキで上塗りをする。前のカメラマンが使ったストロボなどの撮影機材が、組んだまま残されていることなどあり得ないのだ。
一旦撮影が始まると、写真スタジオでもロケでも、写真家としての全人格をかけて、被写体と対話しシャッターを切り、自分なりにゲストや被写体の方の持ち味を引き出すのだ。
相手が人間である以上、ラジオも写真撮影も同じことだ。自分と相手との関係性の中で生まれる産物なのである。
そして、インタビューやシャッターを押す側とインタビューや撮影をされる側とのスパークが、面白い結果につながるのだ。
このインタビュアーだからこそ、ゲストから引き出せた言葉、この写真家だからこそ撮れた一枚が貴重なのだ。

実は、この話の本題はラジオや撮影の裏側についてではない。
冒頭の女優さんの番組出演の時、リスナーにプレゼントとして、僕のエッセイ集を2冊持参したのだ。
一ヶ月後、見知らぬ名前の女性から、僕のホームページ経由に一通のメールが届いた。 「先日、ラジオを聞いていたらハービーさんが出ていらして、サイン入りエッセイ集が当たるというので、早速応募しました。昨日、放送局の名前が書かれた封筒が届いたので、何かと思って開けたら、なんとエッセイ集が当選したんです。今日から楽しみにして大切に読みたいと思います。ありがとうございました!」

僕は、この方に短い返信をした。
「それは、おめでとうございます。たった2名にしか当たりませんからね、あなたは強運の持ち主です。これからも頑張って下さい。」

それに対し、彼女からまた返信があった。
「ハービーさんから直接メールを頂けるなんて、興奮して手が震えています。ハービーさんのお名前を知ったのは、いつだったか、山崎まさよしさんの写真集か、音楽雑誌だったか。でも強く意識し始めたのは、3年程前、福山雅治さんのファンになって、彼のことを追っていくうちに、写真家のハービーさんや、植田正治さんをもっと知る様になった頃です。福山さんのファンになって本当に生活が変わったんです。それまでなんの変哲も無い生活だったのに、新しい友達が出来たり、ハービーさんの本が当たったり、そしてこうやって、あのハービーさんからメールまでもらったり、本当に奇跡の様なことが起きているんです。
エッセイ集、早速読みました、それまでもやもやと心に溜まっていたものが、すっと消え、また前向きになれました。明日も頑張れるぞって気持ちになれたんです。自分で新しい扉を開けて、一歩踏み出さなければ決して起きなかったことです。ありがとうございました。」

一歩踏み出す→生活が変わる→人格が変わる→出合いが変わる→運命が変わる→人生が変わる。
人によって、順番は異なるだろうが、往々にしてこんな図式が浮かぶのである。
誰かのファンになる、ラジオを聞く、写真を撮る、何でも良い。でも、今までよりちょっとだけ深い思い入れを込めて、、。そこから何かが始まる。

さあ、あなたも僕も一歩新しいことに踏み出してみようではないか。