TOPページ > ハービー・山口の「雲の上はいつも青空」 > 第27話 『不思議な力』 第27話 『 不思議な力 』中目黒のキャスパーズギャラリーで先月『1989年東欧、真冬に咲いた花』と題した個展を開いた。内容は1989年に撮影した民主化に揺れる東欧諸国の街 や人々を捉えたものだ。この撮影の印象が強烈だったので、記憶の中ではついこの間のことの様に思われるが、もう18年も前のことになるのだ。1989年、 ベルリンの壁が民衆の手によって壊されているというニュースが世界を廻り、僕の写真家根性が頭をもたげ現地に赴いたのだった。ベルリンで撮影し、その後、 隣国チェコスロバキアの首都プラハに入った。その翌日である。民主化が成立した。正にその日に現地に居合わせたのは写真家としては幸運なことだった。11 月の陽は短く、零下10度という厳寒の中、自由を叫ぶ民衆の声は、暗い空にこだまし、なおも熱く無限のエネルギーに満ちていた。しかし、大通りから一歩裏 通りに入るや、そこには何百年もかかって人の靴によって丸く削られた歩道の石畳が街灯の光に美しく照らし出され、この街が刻んだ歴史の長さを浮かび上がら せていた。こうした長い時間の痕跡やゆったりと流れるモルダウ河の流れを見ると、人間の社会や政治が一時期どう変わろうと、物言わずただ見守っている悠久 の時の流れというものを意識せざるを得ない。時とか場所を超えて、人為より遙かに大きな神が、ある力を持って我々の日常を見守っているかの様である。不思 議な幻想的な感覚であった。 さて、そうした写真を展示したギャラリーには、目黒川沿いの桜並木を歩いている人々が広い間口と白一色の清潔な内部を覗きこみ、三々五々と入ってくる。あ る日の午後だった。とてもルックスの良い外国人の青年が2人ギャラリーに入ってきた。彼らが一周したところで声をかけた。ロンドン出身ということだった。 数ヶ月日本を東北から九州まで旅していて、東京には数日間滞在し、偶然このギャラリーの前を通りかかったそうだ。大変穏やかな表情を浮かべる青年で、パリ の大学に留学して今年卒業し、来年はロンドンでの就職が決まっているそうだ。こういう人達を本来のイングリッシュ・ジェントルマンというのだろう。そこに は軽薄さの微塵もなく、インテリジェンスという言葉があてはまった。「日本は楽しくとても良いところです。」僕は嬉しくなり丁重にお礼を言い、待ってまし たとばかり彼等に僕のロンドンの写真集を見せた。彼等は真面目な性格というか、ものの本質を探し当てる知性の持ち主で、1ページ、1ページを丁寧に進んで 行った。子供や馴染みのミュージシャンのポートレートを見て「GREAT!」を連発した。そして、あるページに差し掛かると彼等の1人が、そのページをま じまじと覗きこんだ。しばらく間があった。それは1999年に地下鉄ハイストリート・ケンジントンの駅構内で若い女の子3人を撮った「waiting friends」と題した一枚だった。彼の口からとても意外な言葉が発せられた。「私、この子達知っていますよ。この右の彼女の名前はイジイ、3人とも同 じ高校の一年後輩です。私達はケンジントン出身ですから間違いありません。今でも近所に住んでいますよ。」 僕はにわかに信じられなかった。なんという偶然だろうか。彼もこの偶然に驚いている様子だった。「この写真は駅の中で可愛い娘を見つけたので、撮らせて欲 しいと頼んだら、気持ち良く撮らせてくれたんです。」と説明した。1999年撮影だから、当時彼女達が15歳だったとして今23歳だ。僕の前にいる彼は 24歳として年代がぴたりと符号する。 「撮らせていただいたお礼かたがた、この写真集をロンドンに持ち帰って差し上げて下さいますか。多分この日のことは憶えていないと思いますが、この写真を 見たら思い出すかも知れません。」彼は「BEAUTIFUL STORY!」と言って写真集を大切そうにバッグにしまった。この偶然を改めて見つめ直した。なんと素敵な出来事だろう。プラハで体感したのと同じく、時 や場所を超え、我々を見守っている何かの力が世の中には存在するのだろうと、再び思った穏やかな秋の日の午後だった。 |