第47話 『 HOPE 空、青くなる 』
6月18日、待望の写真集「HOPE 空、青くなる」が講談社から発売された。かつて「PEACE」という若者の笑顔を集めた写真集を出したが、この新刊は若者だけじゃなく子供からおじいちゃんまで、幅広い年齢層と職業の人たちが写っている。
はつらつとした若者のすがすがしさや美しさは僕にとって、とても大切なものだったので、数年かけて「PEACE」が出来たが、そのお陰で、若者に限らなくても良いんじゃないかという心境にやっとなれた。
確かに街を歩くと「これは写真に撮りたいな!」と直感する人々の表情や仕草、そして光景に日々出会うものだ。そうした時は何かを考える前に小走りに近づいて行って「一枚、撮っても良いでしょうか?」と声をかけてしまっている。小さな衝動に動かされているといった心境だ。そこに理屈はなく「良い光景だ、写真を撮らなくては」、という直感があるだけだ。森山大道さんも、「考える前にまずシャッターを切れ」という言葉を残している。この直感が大切なのだ。一日カメラを持って出歩いても、この直感を感じない日もあれば、何度も感じる日だってある。感じない日は無理にシャッターを切らなくても良い。無理に切ってもフィルムの無駄になるだけだ。
しかし、直感に従い、撮れた時の喜びはひとしおだ。そうやって何年かが経ち、積み上げられた一枚一枚を見ていると、自分のやってきたこと、やりたかったことが明確に理解出来てくる。直感に従い撮ってきたのは、人々のささやかな幸せの光景や生きている姿であり、それを写真に残すことで「人間ってやっぱりいいもんだよ!」ということを表したかったのだ。
世の中には重い写真と軽い写真があるとすれば、僕の写真は軽い写真だと思う。重い写真とはたとえば人間が苦悩しているところとか、苦悩の歴史に迫った写真だ。その写真で作者は強く社会に世の中の矛盾を訴えている。一方、僕の写真は「街かどの幸せ」という、苦悩とは逆の場面である。「幸せ写真」を軽いとは一概に言えるものではないと思うが、人によっては軽いと判断する場合もあるだろう。この問題に僕が直面したのは1975年、ロンドンでのことだ。幸いにも出会えた寺山修司さんとの間に次の様な会話があった。
「へえー、ニューヨークじゃなくて、ロンドンに住んでいる日本人の若者がいるっていうのが面白いですね。で、君はこのロンドンでどんな写真を撮っているのですか?」
「人間の美しさを撮りたいんです。」
「人間ってのはさ、表面は美しくてもこころの中に醜いものをいっぱい持っている場合があるんだね、妬みとか嘘とかエゴとか、そういったものを撮らなきゃつまんないだろ、、。」
この会話以降僕は人間のこころの裏側とは、と考えるようになった。美しさを撮っているだけでは片手落ちではないか、、。
だが、僕は人間の醜さに迫る写真を撮りたいとはいつまでたっても思えなかった。僕は自分の過去を振り返り、そして、ある結論めいたものをつかんだ。「幼年期、少年期ずっと重い病気にかかっていて、その結果、クラスメートや担任の先生の心の中のある厭なところをずっと見て来たじゃないか。僕はこころの中には醜いものがあることを充分に知っている。それにもまして自分自身が病弱の体しか持ち得ず、未来に対し、希望も夢も抱くことを許されない苦悩を背負っているのではないか。それを知っていて敢えて美しさを撮っていくなら、それはもはや片手落ちではないのではないか、、。」
そんなことを思って以後、相変わらず僕はロンドンの街で、美しいと思うものに素直にカメラを向けてきた。写真の重い、軽いを考えるより、その時の自分にこころにただ正直であっただけだった。2年に一度位の間隔でヨーロッパに来る寺山さんとは会うことが出来た。ある時は写真に興味がある寺山さんの撮影助手をしたこともあった。自らの劇団の役者を使って架空の寺山修司の世界を作り上げていた。現実の光景に根ざす僕と、架空の世界を作り上げる寺山さんとは180度違う写真への取り組み方だった。非現実的であればあるほど寺山さんは満足そうだった。それは僕にとってまったく未知の世界だった。「写真は誰かに習ったんですか?」と尋ねると撮ることを教えてくれたのは荒木経惟さんだという答えだった。
そして、何年か過ぎた。1981年、僕が初めて帰国した時、寺山さんの港区三田にあったアトリエを訪問した。僕はギャラクシーと名付けた一枚のポートレイトを寺山さんに見せた。
「君は、こういう写真が撮れるなら、もうプロとしてやっていけるでしょう。」
この時、僕はプロとしての自分を始めて自覚した。そして美しいものをずっと追い求めていた自分は間違っていなかった、さらに、どの道であれ、どのスタイルであれ、自分が信じたものを徹底的に続けることが大切なのだ、と実感した。31歳の時だった。
僕はこの時以降も人間のこころの裏側にひそむ醜さに迫る写真は撮れないでいた。意義は充分にわかっていても撮る気がしないのだ。ならばそれはそれで自分の個性とし、「幸せ写真」をつきつめようではないか。それが「HOPE 空、青くなる」である。
思えば中学2年生になった時、友人の勧めで思いもよらなかった写真部に入部して以来、僕の様な落ちこぼれでも生きていける様な社会が欲しい、そのためには人間が人間を好きになる様な写真を撮りたい、言い換えれば、人のこころが清くなる様な写真が撮りたい、というおぼろげな願望が、この写真集によってある程度叶ったのではないだろうか。
「写真を撮る目的を一言で表すなら、それは、人々のこころをポジティブにすることだ。その結果、人々の心が希望に溢れ、安らぎを取り戻せたらこの社会はもっと優しくなるのではないか、、。
かつて、私は幼年期から少年期にかけての十数年間、腰椎カリエスという病気を患い、常に孤独と絶望を抱いてきた。
落ちこぼれであった私は、生きていく中で社会や個々の人間が、時としていかに弱者に冷酷かを知らされた。
そうした過去の結果、いつしか私は、何気ない穏やかな日常の光景や、人々の明るい笑顔、そして強く生きる姿に限りない憧れと美しさを見出すようになった。
写真は、街で出会う一瞬の光景や表情を永遠のものとして写し留めてくれる。
そうやって写す程に私のこころは元気になった。あたかも一つ一つの光景や写真の中の人物が、一瞬のこととはいえ、私と強いきずなで結ばれているようにかんじたからだ。
そして私は切に願うのだ、一枚の写真が多くの人々に希望を与え、いつの日か、この社会が今よりずっと優しくなることを。
いつまでもHOPE、そして空、青くなる。」 まえがきより
写真集に限らず本には帯というものが表紙についている。本の内容を的確な短い言葉で表すポップの役目をするものだ。この帯に素敵な言葉が欲しくてお二人にお願いした。荒木経惟さんと松任谷由美さんである。
荒木さんの事務所に電話をするとご本人が出られて「君の写真は見て知っているけど、来週新宿に飲みにおいでよ。そこで写真を見ながら話をすれば、なんかひらめく言葉が出てくると思うから、、。」
約束の日、僕は20枚程のプリントを持って新宿へうかがった。荒木さんはじっとプリントを眺めながら、「イイねえ!たまんないね、ブレッソンより良いよ、ピントが合うべきところだけに合っている、絞り開けて撮ってんだろう。こうやって被写体と写真家との関係性を撮らなくっちゃね、これは相手が安心しきっているもの、写真家の人柄なんだろうな。優しく誰かを見えるようにならなきゃね。こころの一番の心底という超真実だね。光こそ神!」 そしてテーブルにあった紙ナプキンにひらめいた文章をマジックで走り書きしてくれた。その時の荒木さんを撮ろうと思いバックからライカM6を出したが、フィルムが終わりかけていた。それを荒木さんに告げるとネオパン400プレストを「一本あった、あった、これ使いなよ」と僕に手渡してくれたのである。
一方のユーミンは、タイミングとしてはまずく、ツアー中だった。マネージャーの方に帯の話をすると旅先でなんとか時間を作ってみる、とおっしゃってくれた。僕は翌日プリントと手紙を事務所に郵送した。ツアー中ということは、毎日コンサートを済ませ、移動、宿泊そしてまたコンサートを迎えるというハードスケジュールの連続だ。精神的にも肉体的にもギリギリまで追い込んでいる状況だろう。写真を見て、一言書いていただける余裕をユーミンは見つけてくれるだろうか。無理なことをお願いしてしまった。僕は事務所の好意に甘えた自分の勝手さを反省した。しかし、10日程して、地方にいるマネージャーさんのパソコンから、「大変遅くなってしまいご迷惑をおかけしました。」と前置きしてユーミンの言葉が送られて来たのだった。感激した。印刷のスケジュール上、締切りぎりぎりだった。
「愛という光で撮っている。いま、幸せを写せるのはハービーだけだ!この超クラシックな写真こそがフォトアバンギャルドなのだ。この写真集はキミたちを幸せにする!」 荒木経惟
「シャッターチャンスが0コンマ何秒かはわからないけど、ハービーさんの対象には、その一瞬前の過去と一瞬後の未来が同時に漂っているみたい。ハービーさん独特の”ゆらぎ”。」 松任谷由美
かくして帯は出来上がった。誠意あるお二人の善意のたまものである。
いただいた言葉をこれからずっと大切にしていこうと想いを新たにした。感謝の念を重く受け止め、やはり人間って良いなと改めて実感した6月のある日の午後のことだった。
ハービー・山口 情報
1. 写真集 「HOPE 空、青くなる」 講談社刊 120ページ 3,333円 6月18日発行
2. 写真展 「ポートレイツ オブ ホープ〜この一瞬を永遠に〜」 川崎市市民ミュージアム 6月20日
〜8月16日
ロンドン、代官山17番地、日本でのスナップ、ベルリンの壁崩壊のドキュメント、ミュージシャンのポートレイトなど220点の大規模写真展。kawasaki-museum.jp