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第25話 『 風景音痴 』

毎年、夏になると家族で北海道に旅行するのが恒例となっている。子供が幼稚園に通っていた頃には3週間もの旅が出来たが、中学、高校と進むにつれ、4〜5泊が精一杯の日程になった。それでも、都会暮らしを忘れさせてくれる旅は、子供にとっても僕にとっても大切なイベントに違いない。
今年は、初めて乗馬を体験した。2回目だったがグライダーにも搭乗した。小さな街の花火大会に行ったり、露天風呂を求めてレンタカーを走らせるのは楽しいものだ。このレンタカー、高速道路を使うより、一般道を走る方がずっと新たな発見がある。思いかけず見つけたローカル線のかわいい無人駅や小高い丘の上にある見晴らし台からの眺めとか、偶然の出会いに大きな感動があるからだ。
この北海道の旅に僕はここ数年、ペンタックス67を持参している。風景写真に挑戦しているのだ。いつもの旅なら小さいバッグにライカ1台という軽装だが、北海道には67が付き物だ。普段、僕の撮る99%の写真には人間が写っている。人間の表情や日々の営みを撮るのが僕のスタイルだと思っているが、北海道を旅していると人間が登場しない写真だって充分魅力的だと思えてくる。でもそう思い始めたのはつい5〜6年前のことだ。振り返ると僕が写真を始めたのは、中学2年の頃。 「人の心を優しくする写真、人間が人間を好きになる様な写真」を撮ることが命題だった。だから人ばかりにカメラを向けていた。特に大学時代には、近所のお祭り、学生運動、他校の文化祭、日本に返還前の沖縄、いずれも人間がテーマだった。 10 年近くいたロンドンでも純粋な風景写真は、ほんの数枚しか撮った記憶しかない。さらに風景は、明日でも似た様なカットは撮れるし、来年でも多分この風景は変わらずにあるだろうと思っていた。それに反し、今、目の前にいる人たちがおりなしている光景は、今を逃したら2度と撮れないものだという確信があった。
ならば人を撮るのを優先させようじゃないか・・・。というのが僕の理論だった。
そんな僕は知らずしらず、風景音痴の写真家になってしまった。風景写真を撮ってもろくな写真が出来ないのである。そんな僕を変えてくれたのが北海道の旅だった。広大なスケール、美しい構図、そして、例えばかつて炭鉱があったと忍ばせる、長い歴史の末の郷愁感、こうしたものを眼前にするうち、風景写真の魅力、意味に気づき始めたのである。でもライカでは駄目だった。ライカのファインダーでは、人間は見えても、風景のダイナミックさ、繊細さは僕には見えなかった。そこで新たに買ったのがペンタックス67だった。このカメラで風景の前に立つと、不思議と風景の持つ意味深さが見えてきたのだ。これが5〜6年前のことだ。以来北海道行きには67を持参というわけだ。今年も雑草に埋もれた錆びた廃線、真夏の白い雲、ひまわり畑などライカでは納得のいく結果が残せなかった被写体に大きな手応えを感じた。そんなことで風景には67、場合によってはローライフレックスいやハッセルブラッド、そしてスナップには絶対ライカである。
いつか、人はほとんど写っていない写真集や個展が企画出来たら素晴らしいと思う。僕の新境地開拓だ。

そこで、北海道旅行を楽しんでくれている子供達や旅の行程を組んだ家内に感謝だ。
彼らが僕と風景写真の出会いを作ってくれたのだから。