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第28話 『 一番よい顔 』

僕の住んでいる所から5分も歩くと上目黒という街に着く。少し奥まった住宅街には緑も多く静かな一角が多い。

森 山直太郎さんの前作のCD、「風待ち交差点」の中ジャケ用の写真は、ここ上目黒から中目黒に向かって歩きながら出会った人々や風景をからませて撮影したも のだ。ファンの人達の間では「こんな直太朗君の無邪気な表情は見たことがない」と、すこぶる評判の良い写真が撮れた。この表情が撮れた最大の原因は、歩き ながら出会う人々や物事に、出来るだけ関わり合いを持ったからだった。つまり、人々に会えば、我々の身を明かし、話しかけ、打ち解けたところで撮影を始め るのだ。中には、「自分の愛車を見てくれ」と、わざわざガレージのシャッターを開け、真っ赤なフェラーリを見せてくれた人もいた。そうしたことを森山さん は楽しんでくれたのである。そうした彼の心境を捉えることで普段見せない表情が撮れたのだ。

  さて、その上目黒に先日、ライカにモノクロフィルムを入れ、散歩をしていた。角を曲がるとリヤカーを引っ張って売り歩く豆腐屋さんと、何かを買おうとして いる初老の男性を目にした。僕としては絶好の被写体である。「後で豆腐と湯葉を買いますから。」と声をかけ数回のシャッターを切った。その後、豆腐屋さん も巻き込み、写真談義が繰り広げられた。まず、その男性が「私は若い頃、人の写真を撮るのが好きでね、プロの先生に何度も褒められたことがあるんです よ。」という一言から始まった。そのうちその男性が得意げに僕たち2人にこんなことを言った。「よい表情を引き出すにはコツがあるんですよ。」果たして何 と言うのか僕は興味津々だった。男性は続けた。「笑って下さい、と言っても駄目なんですね。素直に笑えない人もいるし、作り笑いは上辺だけの顔になっちゃ う。薄っぺらな写真しか撮れないんですよ。だからね、一番良い顔をして下さい、って言うんですよ。そうするとね、その人の心底からの、責任ある良い表情が 浮かぶんですよ…、そのタイミングでシャッターを切れば良いわけでね…。」 僕は成る程、と思った。この方、実に良いことをおっしゃる。

  僕はプロとして写真を撮っていて、大変参考になったと礼を言うと、「あっ、プロの方でしたか、いやー、生意気なことを言っちゃった、参ったな、失礼、失 礼。」と頭をかいた。今度この言葉を早速試してみようと思った。効果てきめんだったら、この方に感謝しなければならない。

  僕は毎月、CAPA、アサヒカメラ等の写真誌のコンテストの審査をしているが、アマチュアの方々の作品から学ぶべきものは毎回少なからずあるものだ。まず その作品の自由な発想と個性が織りなすインパクトだ。このような撮り方があったか、上手いな、と感心するのだ。上位にランクされた作品にはこのインパクト が必ずある。審査は神経を使う仕事だが、新しい発見の場でもある。素直に心を開けば、参考にすべきもの、学ぶべきものは身の回りに数多くあるものだ。