第46話 『 写真家の軌跡 』
写真家という職業は裏方さんのひとつだ。タレントさんを撮る場合、彼らを最も見栄えのする様に最善の努力をする立場にある。ヘアーメイクや衣装を揃えるスタイリストと同列だろうか。「やっぱり最後は写真家の腕にかかってますよ」と言ってくれるタレントのマネージャーもいるが、大抵はスタッフの一人として特別扱いされない場合が多い。
ひがみかも知れないが、時にメイクさん、スタイリストさんが羨ましく感じることがある。それは彼らの方がタレントと接触出来る時間が写真家より長いことがあるからだ。1時間かけてメイクを施し、衣装をまとう。その間楽しそうな笑い声がメイクルームから聞こえてくる。彼らとタレントの間にはコミュニケーションがあるのだ。結構仲良くなっている。その間、写真家は汗をかいてバック紙だ、ライティングだ、露出だと懸命に走りまわっている。突然タレントさんが用意万端でスタジオに入ってくる。すぐに撮影に取り掛かる。許された時間は30分。撮影後にライターさんによるインタビューが控えている。こうした場合はタレントさんに自己紹介をする時間がない。名刺を渡しても、その名刺はタレントさんが持っているわけにもいかず、困った顔をしてマネージャーさんに手渡すことになる。マネージャーさんには先ほどすでに名刺を渡してあるので2枚持っていてもしょうがないから、1枚は捨てられる運命にある。だから写真家はタレントさんにとって「カメラマンさん」という認識しか残らない。事前にマネージャーさんがタレントさんに「今日のカメラマンは○×さんです。新進気鋭の、とかベテランの有名写真家です」と予備知識を与えてくれる場合もあるが、そんなことはまずないと思ったほうがいい。マネージャーだって写真家に詳しくはないのだ。誰でも知っている篠山紀信さんとかアラーキーさんとか、若手でも時代の寵児になっているような方の場合は別として、ほとんどの場合写真家は匿名の「カメラマンさん」だ。 話は戻り、撮影が進むうち、「このカメラマンさんは凄い!」とタレントさんの思わせるのには余程写真家に個性と実力があって、途中経過のカットを時々見せながら、タレントさんのこころをこちら側に引き寄せるしかない。そこまでのレベルに達している写真家はそんなに沢山いるものじゃない。僕だって20代や30代の頃、自分の個性をあまり確立、発揮出来ていなくて、スタジオ内でただピントや露出を合わせるのに精一杯だったという時代があった。しかし、アーティストと呼ばれる人達を被写体にする時は状況や意識はまったく違う。スタッフや本人達があらかじめ写真家のことを調べた上で、写真家の個性を生かすことを前提としている。「ハービーさんの写真集を持っていますよ。」とか「この前の写真展に伺いました。」と言ってくれる。これは凄く嬉しい。20年弱前、今の活躍以前の福山雅治さんに2度目に会ったとき「ハービーさんって、ブームのファーストアルバムのジャケ写を撮ってますよね。いい写真だと必ず写真家のクレジットをチェックするんですよ。」と言っていた。さすがである。
さて、話は変わって、僕は依然ライカにモノクロフィルムを入れて街の人々を撮っている。電気信号のデータより、ネガという物としての存在により頼もしさを感じるからだ。そしてバライタ印画紙上の綺麗な銀粒子に心地よさを見もする。そして一枚一枚大切に撮る精神性が良い。気合いが入るのだ。
さて、嬉しいことに、そんな銀塩ライカ写真を集めた待望の写真集の出版が決まった。ここに収納する写真で一番古いのは1983年に撮ったカットだ。幼稚園の子供達が、公園のトイレで一列に並んで用を足しているユーモアある写真だ。子供達のこれ以上の写真をその後撮れていないので、かなり古い写真だが使うことにした。だが9割は2000年に入ってから、特にこの数年に撮った写真が大半を占めている。街で見かけた、人それぞれの人生を背負って生きる姿や、素敵な表情を捉えた写真がずらりと並ぶ。出来ることなら、写真を見てくれた人がポジティブな気持ちになってくれたらとか、人が人を好きになってくれたらという願いがある。タイトルは「HOPE 空、青くなる」。写真集に掲載する写真を選ぶのにあたり、ここ何か月もの間、古いネガ、最近のネガを見まわした。1980年代、1990年代初頭のネガには掲載に値するカットはあまり見当たらなかった。最近のネガになればなるほど使いたいカットが増えている傾向に気がついた。80年代、90年代初頭のネガには雑誌用に撮った写真が多い。一日に二つ、三つの撮影をかけもちして飛び回っていた。しかし、その忙しさは90年中頃から後半にかけてなりをひそめ、その代り、仕事とは関係なく、心の向くままの撮影が多くなってきた。ここで問題だ。仕事に追いまくられていた時代と、自分の写真を撮る機会が増えた最近では、一体どちらが写真家として幸福なのだろうか。理想は仕事も作品も同列の価値がある筈だ、と言い切ることだろうが、そううまくはいかない。冒頭に書いたように「カメラマンさん」として加わり、タレントさんの都合にすべてが飲み込まれ、僕の個性や独自の視線が発揮されぬまま終わった撮影に関しては、消化不良と言われても仕方ない。だから今の方が消化不良が少ない分、僕は幸福だと感じている。では80年代や90年代が無駄だったかと問われると、決して無駄ではなかった。あの時代を全力で生きたからこそ今の視点が明確にあるのだ。タレントさんから学んだこともあるし、華やかで、忙しさが快感だった。それに加え、幸運にも僕にはタレントさんよりアーティストからのリクエストが多かった。アーティストから随分とパワーをもらったものだし、これはかけがえのない経験だ。人の過去はその人の財産だ。どんなことでも一生懸命やったものに無駄はない。僕がトークショーで頻繁に言う、「今しか出来ないこと、自分しか出来ないことを全力ですることが大切」なのだ。
最近、「コレカラ」という雑誌の仕事で鶴瓶さんを撮らせていただいた。撮影時間30分以内。しかし、僕は若い頃とは違って落ち着いていた。いくつかの言葉を交わした。その結果、彼は撮影の瞬間、僕側に来てくれた。ファインダーの中には、いつもの人懐っこい満面の笑顔が一杯にこぼれていたのである。
ハービー・山口 情報
1. 写真集 「HOPE 空、青くなる」 講談社刊 120ページ 3,333円 6月18日発行
2. 写真展 「ポートレイツ オブ ホープ〜この一瞬を永遠に〜」
川崎市市民ミュージアム 6月20日〜8月16日
ロンドン、代官山17番地、日本でのスナップ、ベルリンの壁崩壊のドキュメント、ミュージシャンのポートレイトなど220点の大規模写真展。kawasaki-museum.jp
3. 写真展 「ハービー・山口写真展 the roots〜CHEMISTRY」
6月17日〜7月12日 銀座 リコー RING CUBE
人気男性デュオ、ケミストリーのルーツを訪ねて東京、広島を巡るTV番組(CS放送 MUSIC ON TV)と連動した写真展。